雨粒が光っています。こんな静かな日もいいもんです。頭の中に溜まった煩わしい音が消えていくように感じられます。
孫が中間考査中です。
ミルキーの千歳飴。ちょっと、ほっこりするのは私の年代だけかもしれないけれど、三人のデスクに配ってやりました。
中学一年生の孫は漢字の成り立ちが範囲のようです。
象形文字は形を象ったもの。
指示文字は、形としては表現しにくいもの。
会意文字は二つ以上の漢字を組み合わせたもの。
形声文字は意味を表す部分と発音を表す部分からできているもの。
六書ですからあと二つあるのですが、難しい説明になるので置いておいて。
漢字といえば「山」のように形からできたイメージを持ってしまいますが、実は、八割がた形声文字といわれます。
まだまだ気温25度以上の日が続いて、蚊に悩まされます。
そこて、何気なく、「蚊」を漢和辞典で引いてみました。
「蚊」は正しく形声文字でした。
”虫“偏が、”むし“という意味を表し、旁の“文”が発音の”ぶん“を表します。
そこまでは、さもありなんだったのですが、なぜ「文」かといえば、「ぶ~んと飛ぶから」と記されていたので笑ってしまいました。
漢字の中には人間の生活臭が込められてあることが楽しいことでした。
また、過日、大形先生に叱られた「悟」も、形声文字でした。
りっしんべんが「心」を表し、旁の「吾」が“ゴ”という音を示しています。
そこで止めればいいのに、さらに、「吾」にはどんな意味があるのだろうと先に進んでしまうのが素人です。
“吾(寤)”には、あきらかの意味があるから、全体として心の迷いが開けるという意味になります。
辞書を引くことなどお手紙を書くときに国語辞典を引くくらいでしたのに、時間ができた今は辞書を引く楽しみを知ってしまいました。
今日もあらためて「悟」を引いてみたら、陶淵明の「帰去来辞」が例文として上がっていたのを見つけました。
「帰りなんいざ」はいろんな方が解説されていますから、ネットでそれを見るだけでも勉強になります。
陶淵明が役人を辞めて田園に帰る思いをうたった有名な詩です。
役人として働いてる間、自分の心を肉体の下僕としてしまっていたことに気づいて、残りの人生をそうではないものにしようと田園に帰ります。
ネットの解説の中に養老孟司さんの言葉が載っていました。
都市は意識で作られ、自然は体にある。田園は、言葉や計算以前の古い素朴な感情を思い出させる。と。
体の芯が疼く感覚を人は感じるのだと思います。それは、はっきりしたものではないかもしれないし、体調によっては受け入れ難いものかもしれません。
しかし、それに従えば、自分の心を軽く爽やかにできると直感できたなら、いのちが生きている証だと思うのです。