こころあそびの記

日常に小さな感動を

 

 雨が上がったばかりの朝は、まるで信州を思わせる清々しさでした。

 鼻の奥を撫でる、ほどよく冷えた空気を心地よく感じながら、池田城跡公園に入りました。

 

 

 十月桜もあとしばらく。

 

 

 ホトトギスに、

 

 

 藤袴

 路傍で見かけても通り過ぎそうな秋の七草です。

 

 

 モッコクが紅くなりました。

 

 

 お城の展望台に昇ったら、一組のご夫妻がお話しされていました。

 「今日は風が強いから、葛城山系まで見えてるなぁ。ほら、アベノハルカスも」

 そうか。風が塵芥を吹き飛ばしてくれたから遠くまで見えるのですね。

 高度10000mにある絹雲の下を高積雲が横切って行きます。広い芝生の上で、上空の雲の姿を眺めるだけで、心が清められていくようです。

 そして、その空をヘリコプターが横切っていきます。この美しい空を撮っているだとしたら、空仲間としてうれしいことです。

 

 

 きのうの大形先生の授業は「夢」についてのお話しでした。

 

 「夢は、いつもは肝にある魂が、居場所を無くして放浪するから見るもの」と、陸先生から教わっています。それは、体が弱って肝を制御できない状態に陥ったときでもあります。

 

 では、その魂は体のどこから出入りするのでしょう。

 魂は、覚醒時は五臓に納まっているのですが、睡眠中は他人の魂と交るといわれます。

 出入りの場所は、頭のてっぺんの大泉門という、赤ちゃんのときに最後まで閉じない場所、いわゆるピコピコです。

 この泉門が大切と考えた中国の風習が日本に入ってきたために、平安貴族の男は烏帽子を被り、女は髪を伸ばすようになったのだと想像します。

 魂は、当人が寝ているうちに泉門から抜け出して、他の魂と交流します。

 自分が好きでもない人に誘い出されるのがいやで、身なりを卑しくしたら魂の交流がなくなったなんて、嘘か真か分からない話があります。そんな男はくそ食らえですけどね。

 

 惚れたはれたというちっちゃい夢は庶民の見る夢。でっかい夢はどなたがご覧になるのでしょう。

 世直しを成し遂げた偉人の魂と交流できる人が今まさに待ち望まれます。