こころあそびの記

日常に小さな感動を

映画「八犬伝」を観て

 

 テーマが見つからなくて、何を書こうかと悩む日もあれば、今日みたいに朝から材料が目白押しの日もあります。

 なのに、そんな日に限って、実際に書く段になったら、当初の予定になかったことを書きたくなるのはなぜでしょう。

 

 

 今朝も、「水滸伝八犬伝は似たところがあります」というSNSの書き込みを見てしまったために、映画『八犬伝』が観たくなり、すぐさま映画館に走ってしまいました。

 北方謙三さんの「水滸伝」が読み進まず困っていたところでしたので、「八犬伝」が似てると言われたら、観に行かずにはおれませんでした。

 

 

 良い映画でした。

 「東海道五十三次」を描いた広重は三十代でこの作品を完成させたのとは対照的に、北斎は七十歳を過ぎてから「富岳三十六景」を描いたということを、長谷部愛さんの本で知ってからというもの、北斎の生き様に少し興味を持ったところでした。

 

 映画は、『南総里見八犬伝』を通して描くというよりも、北斎と馬琴の交流をベースに仕立て上げられていました。

 そりゃそうですよね。『八犬伝』は完成までに28年かけた全98巻106冊の大作ですから、全編を描くのは無理です。だから、その中に馬琴が描こうとしたのは何かと映画制作者は考えたのでしょう。

 真っ正直にしか生きられない馬琴の人格をどう表現しようか。「虚に見えるこの世であっても正義を貫いて生ききったらそれは、実である」と物語の中で誰かに言わせることで、彼の思いを昇華させようとしたように思いました。

 

 

 私は真面目にしか生きられない、と馬琴が呟くシーンがありました。

 そんな人が書く物語だから、BS『らんまん』のすえちゃんもファンになったのでしょう。

 勧善懲悪。悪だくみをして生き延びるより、正しく生きて与えられたいのちを全うできたらそれでよしという覚悟を持ちたいものです。

 

 28年かかった執筆の最後は、視力を無くしてしまい、嫁の口述筆記で書き上げます。自分が老年になったからこそ共感できるところでした。

 そこを黒木華さんが好演して締めくくってくれたことで、鑑賞後の気分が軽くさわやかになったように感じました。

 映画館で観るべき映画です。