こころあそびの記

日常に小さな感動を

秋しみじみ

 

 電動カッターで刈られても刈られても、どっこい生きてるよ~と、石蕗が満開です。殆ど日の当たらない場所で健気に来年まで咲き続けてくれます。 

 種にとって居住条件の良し悪しは一様ではなくて、親から受け継いだものがすべてとは、人間にも言えること。

 自然の掟には無駄がないことに感心します。

 

 

 朝一番で、クリーンセンターにダンボールを捨てに行きましたら、ちょうど朝日が目の前から上ってくるところに出くわし、三文の得をありがたくいただいてまいりました。

 

 

 さて、古来より、春秋論争で秋に軍配を上げる人が多いのは、春の展開の速さのせいなのかもしれないと最近になって思うようになりました。

 梅は咲いたか、桜はまだかいな。あぁ、せわしいことです。

 それに比べて、秋はどこかゆっくり浸れる時間です。あとに控えるのは冬という静けさ。

 こういう時の経過をしみじみ味わえる年齢になったことはありがたいことです。

 

 

 徒然草にも引かれるフレーズは『拾遺集』巻9にある「春はただ花のひとえに咲くばかり もののあわれは秋ぞまされる」からです。

 

 大学の授業が終わって外に出たら、夕日が斜めに紅葉を照らしていました。

 思わず、きれい!と独りごちたのは、自分が年をとったから。私だって若いときには、足早に追い抜く学生さん達みたいに、当たり前の光景と思って通り過ぎていたのです。

 もったいないことをしたとは思いません。ゆっくりと過ぎゆく時間を楽しめる今が幸せ時間ですから。