こころあそびの記

日常に小さな感動を

雑記帳

 

 プールの健康体操では、音楽に合わせて体を動かす時間があります。

 出席者の顔ぶれを見てのことか、選曲される懐かしいメロディーが、当時のことを思い出させたりします。

 昨日は、早くもクリスマスソングが流れました。

 ハロウィンが終わった途端に、街はクリスマスの飾り付けに様変わり。

 娘も一年中の行事で、一番好きなのはクリスマスと言います。心躍る音楽といい、贈り物の交換といい、みんなが笑顔になれるイベントです。

 これは今に始まったのではなくて、自慢じゃないけど、戦後生まれの私たちの子ども時代にも、貧しいながらも始まっていました。

 色の付いた電球を吊して、「白鳥の湖」や、父の好きな「カルメン」のレコードをかけて、踊った自分を思い出します。

 叱るばっかりだった母も、この日だけは楽しそうで、辛いことが封印される時間でした。

 

 

 突然、話は変わりますが、一生懸命考えて生きてるようでも、人は同じ所を堂々巡りしてしまうものです。

 そんなことを思うのは、こないだ図書館で借りてきた『窪田空穂歌集』で、こんな歌を見つけたからです。

 

 憎みつつわが生き来しは今日の日の

 このよろこびを眼に見んが為

 

 人それぞれ、「憎みつつ」という言葉を変えれば自分の人生が作れそうです。

 私は、「泣きながら」かな。

 中島みゆきさんの「泣いて~泣いて~と」いう歌詞みたいに、明日に希望が見いだせなかったあの頃。

 でも、そんな日々があったから、穏やかな今を愛おしく思えるのかもしれません。

 今、悩みの真っ只中にいる若人にも、いつか抜けるからと伝えてあげたい。そのために必要な練習は、自分を信じることを怠らないことです。

 

 

 星月夜空の高さよ大きさよ

           尚白

 

 江左尚白さんは、江戸中期の俳人で、芭蕉を慕って、近江蕉門の隆盛に尽力した人だったようです。

 ところが、その師弟関係が壊れてしまいます。

 思ってもない些細なボタンの掛け違いが、憎悪を増幅させることが、この世にはよくあります。

 この世のことはこの世で解決できるという説もありますが、そのような案件を多数見てきた私は、焦らなくてもいいと思っています。

 長い長い時間が必要でしょうから、気楽にあの世まで持って行くのも手かなと思ったりしています。