「今日は温かくていい感じ」という娘の言葉に誘われて庭に出てみました。
ヘクソガズラの支柱と化した薔薇の枝に、今年もローズヒップの可愛い色が目を惹きます。
宿主を凌ぐ勢いで伸びたヘクソガズラの実もすでに黄金色。
小さな世界の熾烈な陣取り合戦が終わり、閉蔵の時に入ります。すべての生物にお疲れさまと言いたい晩秋です。
毎度のことながら、娘が孫たちを送り出すまでの目の回るような忙しさは、かつては自分も経験したはずなのに、今ではずっと遠くに思えます。
親子だから許されるやりとりの中に助け船を出すことは、混乱を増長するだけですから、見て見ないふりを決め込む朝のひとときです。
ところで、世相が二分する難しい時代になったことをちょっとだけ愚痴らせてもらうと。
何回か書いている話ですが、昔は男の子は男らしく育てるというのが、子育ての王道でした。
男の子は未完成な形で生まれてくるから、「あんたは男」と言い聞かせ、決して真綿に包んで育ててはいけないと、年寄りから学んだものです。
反対に、女の子は一生に生む卵を完成して生まれてきますから、スタートから女の子なのだそうです。
ですが、今は、「男」、「女」、という言葉を発することさえ、保育園でも学校でもタブーとなっています。
人権派といわれる一見、正論であるようなまやかしがまかり通って、教育現場は大変な状況になっているとか。
ひとりひとりの人格を大切にすれば良いだけなのに、一生懸命、人権という鎧を着せようとする考え方に疑問をもちます。
その結果、世の中から優しさが失われて殺伐としてきました。
これで、いいの?
私が子育てしてるときに始まった男女同権。いずれ、男の子受難の時代が来るとみていましたが、やはり、来てしまいました。
このままでは、男の子はたくましく、女の子は愛想良しというのは、過去の幻想になりそうです。
去るものは語らずなんだけど、ちょっとさみしい気がしてなりません。