こころあそびの記

日常に小さな感動を

明け昏れ

 

 日曜日なのに、朝寝を許してくれないわんこを連れて、仕方なしに庭に出たら、自分の影がくっきりと芝生に映りました。

 振り返ると煌々と照る月。昨夜は満月だったことを思い出して、漸く覚醒できたことです。

 その後、だんだんに曇り空になってしまったことを思えば、わんこに感謝です。

 

 

 晩秋らしい静かな日。近頃、ユーチューブ三昧になっていることを反省して、静かに読書などして過ごそうかと思って、開いたのは読みかけの『窪田空穂歌集』です。

 彼の生活誌のような一冊です。

 

 明け昏れの空明らめば雲海の

 雲打光り光りつつ崩る

 

 今、見てきたばかりの光景が、先人にも拾われていたことに感動したことに加え、「あけぐれ」という古語は未明のことと習得したことで、大好きな薄明の表現がひとつ増えました。

 

 雲海の上に横臥す乗鞍や

 厳しと見ける峰の静けさ

 

 これは、乗鞍で見た雲海だそうです。私にはもう、この先、実景を見るチャンスはないでしょうが、眼裏に残る心象風景です。

 

 

 さて、昨日の「花梨の会」、お足元の悪い中、ご出席下さってありがとうございました。

 90歳の小西さんは、私がこの先辿る道を示して下さる大切な人生の師匠です。

 昨日は、そんな気丈な先輩が漏らした胸の内を切なく思いました。

 「毎日、ルーティンをこなすだけで過ぎていく虚しさ」です。

 朝起きて、食事して・・

 奥様の援助があるにしても、お年から考えれば日々ルーティンを全うしておられることだけでも驚異なのですが、それだけでは物足りない。そう思われるのは、彼が最近まで行動力の塊であったからです。

 

 そこで、文章を書いてみられてはいかがですかと、提案してみました。というのは、若い時、和歌山新聞に連載記事を書かれた経歴の持ち主だからです。

 「そんな、いまさら、新聞に出すわけでもないし」

と、応えた彼にみんなで、

 「毎回、私たちが読ませてもらいますから」と励ましました。

 

 

 偶然、窪田空穂さんの「遊びをりといふ人に」という一文を見つけました。

 

 手をつかねひと日をあれば、 わがこころ思ひとなり 思ひみなさみしさとなる そのことのあるなと思ふにわれはただ書をこそ読め 書読めど足らざる時は筆執りて物をこそ書け わが為事よしと悪しきと思わずにわれはしている 生きやすき為。

 

 心さだまらぬ日にさびしさを感じるときは、読書や執筆に救われるといいます。それが、知らぬうちに緊張した心を緩めてくれて、生きやすく、息やすく、なっていく。と。

 

 誰に向けて書くのでもなく、つれづれと書くことで癒されるのは自分です。ずっと先に、曾孫さんが曾祖父ちゃんの書き付けに勇気づけられることがないとはいえません。

 そんなことがあってもよし、なくてもさらによし。

 小西さんが次回、数行でも書き付けを持ってきてくださることを念じて待っています。