こころあそびの記

日常に小さな感動を

火野正平さん逝く

 

 プールに入る前に緑のセンターのお花を見に行きました。温室の中は温かくて、クリスマス花のベゴニアやシクラメンが咲き誇り、心まで温められたことです。

 

 なのに、なぜ?どうして!

 帰宅後に飛び込んできた訃報の主は火野正平さんだなんて。信じられませんでした。

 慌てて、アレやコレやとSNSを検索しましたが、素人が掴める情報はしれたものですから、嘘でしょ、という気持ちが拭えません。

 しかし、Wikipediaではすでに2024年11月14日逝去と書き足されていましたから、観念しようとしているところです。

 

 彼は、私の3つ上のお兄さんですから、お元気だとはいえ『日本縦断こころ旅』で自転車をこがれる姿を、危なっかしく見ていたのは事実です。そこは、男、正平だから大丈夫なのかしらとも。

 でも、14年間の無理がたたったのですね。なんで、しんどいと言いはれへんかったの。持病が腰痛なら、なおさら、自転車は駄目でしょう。

 いやいや、今更何を言ってもはじまりまりません。静かにご冥福をお祈りするばかりです。

 

 

 あの自転車旅を見るまで、こちらもテレビを観る暇なく過ごしていたので、長い間、火野正平さんという存在を忘れていました。

 久しぶりに見たときは、あの名うてのプレイボーイがええぐあいに枯れはって、という印象でした。

 ところが、回を重ねるにつれ、あの優しさが本物であることを実感できるようになりました。

 長年の役者修行の間に、道端に生える雑草まで習得されたことは驚きです。目にした全てのものに心を止める余裕をお持ちでした。

 そして、女性問題で週刊誌を賑わしていた頃の忘れられない彼の言質があります。

 「僕はなにもしないのに付いてくるんやもん」

 今となって分かることは、彼はほんまもんの愛の人だったということでしょう。それを『こころ旅』で遺憾なく発揮し尽くして旅立ってしまわれました。

 

 

 朝の時間がさびしくなります。

 お誕生日は5月30日とWikipediaで知りました。75歳。私も連れてってとほざいていたら、娘に、お母さんは他人やから無理と言われてしまいました。仕方ないので、もうしばらく居残りすることにします。