こころあそびの記

日常に小さな感動を

 

 近頃、ドッグラン巡りをしています。はまってるわけではなく、近場で旅行気分が味わえたらいいかな、という感じです。

 今日は「宝塚北SA」に行ってきました。

 ドッグランエリアで、ご一緒になった女性は少しお御足の具合が悪そうでしたのに、二頭を車に載せて来られたと伺い、同病の私は希望を頂いた気がしました。

 聞けば、関西一円のドッグランを巡っておられるとか。車があって犬がいたら、こんなに元気に過ごせることを教えてもらって嬉しくなりました。

 お勧めのドッグランも教えてもらったので、次なる目標もできました。次回は是非そちらに行ってみることにします。

 

 

 SAにあった手塚治虫さんの火の鳥の刈り込みオブジェを見て思い出したのは、淡路島のニジゲンノモリです。

 随分前に、孫たちと行ったナイトウォークが期待以上だったのか、今でも思い出すことができます。

 火の鳥に導かれて、真っ暗闇の森を歩き回るツアーでした。

 私たちの時代にはなかったアトラクションです。今の子どもたちの発想力についていけないのも、宜なるかなです。

 

 

 PAセキレイが何羽か群れて遊んでいました。一羽で見かける方が多い鳥ですのに、眠るときは群れて一緒に眠るそうです。朝早かったからグループ解散前だったのでしょうか。

 それに反して、庭で鳴いてくれるジョウビタキは寝る時も一羽で眠るのだとか。

 小さな体からは信じられないパワーと精神力を持つ鳥です。

 「子ども電話相談」で常に子どもたちの興味の的になるのが、鳥の先祖は恐竜ですかということです。

 確かに、どんなに小さな鳥でも、足を見れば恐竜と似かよっています。

 そして、恐竜の居住地が極東のツンドラだったとすると、ジョウビタキがそこから飛来してくることに符合します。

 小さな鳥の行動を見るとき、そのDNAに内蔵されたパワーを思わすにおれません。

 

 

 『荘子』の冒頭の「逍遥遊篇」に、「北冥に魚有り」と出てきます。

 このバカでかい魚は鳥になり海を渡ります。魚のように海中を泳いで移動するのではなく、羽ばたいて飛んでいくのです。

 ということは、荘子も鳥の存在を特別視していたのかもしれません。

 また、それほど、地上に住む者にとって鳥は別格だということでもありましょう。

 

 鳥の声を聞き流し、北斗七星の柄の方向変化に気づかず、晩秋の気配を味あわず、と、そんな生活にならぬよう全方向にセンサーを向けて生きていたいと念ずるのですが・・