こころあそびの記

日常に小さな感動を

朝の光

 

 

 土曜日はお弁当の数が3つから1つに減るから楽チンとはならず、気抜け、拍子抜けするとは、人間のふしぎな生理です。

 作り終わっても、家人が起きてくる気配はありません。そこで、台所仕事に精を出す気になったのは、「天一天上」の真っ只中と思い出したからです。

 そう、11/25から始まった16日間は、お掃除好きの天遊神が地上におられると、暦注にあります。

 この期間はお出かけにはもって来いですが、お掃除をするともっと吉日になるそうです。

 そんなことを思って掃除をしてもご利益ないかもですね。

 

 

 そうだ。朝日を見に行こう。と思いつきました。誰も起きてこない好機を逃すのはもったいない。

 朝日はすでに生駒の山から顔を出して光の矢が、大阪の町を徐々に明るく照らし始めていました。

 夕焼けと同じようにオレンジ色に染める朝日。太陽から出発した光の粒の大旅行を思うとき、光の子も人間も同じ旅程を生きているように感じて眺めたことです。

 朝に出発する子もいれば、お昼に、あるいは真夜中に出発する子もいるでしょう。

 易で大運とかいうのは、朝日として出発した子どもではないでしょうか。

 生まれる時間は選べない。だからこそ、いろいろと他人の経験できない人生を生きることができる。

 そんなことを眩しい光の中で思ったことです。

 

 

 琵琶の花が大好きな香を放ち初めていました。匂いにつられてやってくるのは、虫だけじゃないんです。私も仲間に入れて。

 

 

 青山大学の下の池に、ハシビロガモが帰ってきていました。双眼鏡を覗いたらヘラ型のくちばしで浮き草を掬い取っていましたので、直ぐに分かりました。

 

 

 楽しんでいるうちに、空の色はオレンジ色から真っ青に変化して、今日もいい日になることを約束してくれるように思える朝の散歩でした。