
今日は幸せな日でした。というのは、朝はイカルに、夕方はイソヒヨドリに会えたのです。
どちらも、なかなか会えない鳥ですから、お目にかかれたことがラッキーでした。
イカルは五月山体育館の裏の木立の高い枝に止まって、美しい声で鳴いていました。
ずんぐりしているような鳥影に見えたので、これはイカルかもと双眼鏡を覗いたら、あの独特の黄色いくちばしが鮮やかでした。
こんな身近な場所にいたことに感激した朝でした。
そして、夕方に散歩した千里川。
川岸のフェンスの向こう側に、何やら動いていると思ったら、それがイソヒヨドリでした。写真を撮ろうが、動画を撮ろうが飛び去らずに付き合ってくれるこの鳥は、人を怖がらないそうです。
幸せの青い鳥とも称される鳥に会えたことを、受験生と期末テスト中の子どもの世話に明け暮れている娘に報告してやりました。彼女が心癒やされるには、もう少し時間がいりそうですが。

ところで、なぜ、五月山体育館近くに行ったかというと、電車の中吊り広告を見て気になっていた逸翁美術館の『黒い美術』を観に行ったのです。
墨跡を見たかったわけですが、反対にそれしか分からないということです。
そして、小林一三翁がどれほどの目利きだったかを、行くたびに思い知ります。
近くにこんな素敵な宝物がある土地に住んでいることをありがたく思いました。

作品を鑑賞しながら思ったことは、芸術家の器用さです。
自分自身、それほど不器用とも自覚せずに生きてきたのは、祖母や母が和裁でも洋裁でも、お料理にしても人並みに作っているのを見てきたからです。
自分もやればできるのではないかと思ってきたのは大きな間違い、無知としか言いようがないと、この年になってようやくわかりました。
蒔絵を施すにしても、細い筆さばきにしても、器用に生まれつかねばならないことです。
私淑している画家の先生のお家が元、蒔絵師だったと伺っていたことを思い出しました。
芸術の伝統を受ね継ぐ器用さ、センスは一朝一夕では成らないことを思いながら、会場をまわりました。
古今集や新古今集。それに変体仮名も。あ〜あ。暇なのにちっとも進まない学習です。
なのに、書も絵もささっと書けてしまう人ばかり。
なかでも、独特の筆跡の蕪村が好きかな。あんなふうに自由に描いてみたいなぁ。