こころあそびの記

日常に小さな感動を

春迎えの儀式

 

 春雨くらいと高を括って外出しましたら、カメラがこんなに曇ったことでお分かりのように、氷雨模様で、いっぺんに縮こまってしまいました。

 毎年お決まりの春を迎える儀式です。

 3月はじめに必ず降る春の雪。今年も順番通りにやってきたことに安堵しています。巷では自然破壊だなんて大騒ぎする向きもありますが、自然は人間に侵されるほど柔ではないぞと見せつけてくれています。

 だから、今日の私は嬉しいのです。

 

 

 きのう、BSで『日本のいちばん長い日』が放映されていたのでしばらく観たのですが、途中で虚しくなってしまいました。

 あれほどの覚悟をもった指導者が今、この国に居るだろうかと。

 世界は混沌とし始めていますのに、わが国の総理大臣は、「えらいことになりましたなあ」くらいのコメントしかできないのです。ほんまに大丈夫?

 

 

 高額医療費制度の見直しに対する総理の答弁も、ネットを沸かしています。

 たとえ政治家といえども、自分のいのちは惜しいわけですから、いのちという首根っこを握る医師会に頭が上がらない。そこを何とかしないと医療改革なんて、できるわけがありません。

 

 国民の2割は病人で、2割は健康な人で、あとの6割が半病人と言った人がありました。

 その説は多分正しいのでしょう。つまり、病気でもないのに病気だと思わされて、医療のお世話になっている人が半数近くに達しているという現状です。

 その半病人達が、そうか、私は病気じゃない!と気づかれると困る人がいるのです。それが、医師会や製薬会社、そして献金で踊らされている政治家です。

 

 

 昔は、親が弱っていくのを見てられなくて、「先生、点滴してやってください」と、医者にすがりつく場面がもありました。さすがに、今は、そんな患者家族はないとは思いますが。

 そういう私も、その昔、柏木先生に教わるまでは、その行為が患者を苦しめることになるとは、知りませんでした。

 人は生きています。だから枯れるように死んでいけるのです。

 そのことを、忘れさせる医療とは何だろう。と、いつも疑問に思います。

 この寒さが過ぎると、桜が咲き出すことでしょう。

 

 願わくは花の下にて春死なむ

 その如月の望月の頃

 

 この覚悟は今の人に期待できないものでしょう。食事を徐々に減らしてその日に向かうなんて。

 医療と友達だなんて、西行に笑われますよね。