
どこの家族にもあるあるなのは、上の子はしっかりせよと育て、下へいくほど手抜きになって、最後は可愛くて仕方ないというふうになってしまうことではないでしょうか。
私の母は7人兄妹の末っ子で、しかも生まれて直ぐに父親を亡くしたという事情もあって、周りに甘やかされて育ったようです。ですから、家の事情に関わることも、自ら聞き耳を立てるということもない幸せな娘時代を過ごしました。
そこへ、私みたいにつまらないことばかりが気になる人間が生まれてきたので、母も返答に窮してしまって、ついには次兄に聞くようにと投げてしまいました。
頼られた次兄はすでに九十歳近い晩年でした。それでも数度の往復書簡に付き合ってくれたのは、もともと書くことが苦にならない質だったからではなかったかと、自分の勝手な思い込みを申し訳なく思っています。

その手紙に大伯父のことがちらっと出てきます。国鉄職員だった彼は、佐藤栄作さんと机を並べたほどであったと聞く親族の誉れです。
「彼がもう少し口が達者なら、出世もしただろうに···」という下りに笑いました。
そう嘆かざるを得ないほど、母方は口が重い人が多かったのです。「暗闇から牛を引いてくる」とか「夜明けのガス燈」とかいう言葉を幼い頃から聴き馴染んでいたのもむべなるかなといった具合でした。

そんなことを思い出したのは、孫が浪人を決めたという話からです。
娘が、長らく待たせた兄貴に受験結果を電話報告したら、
「二浪した俺が言うのもなんやけど、それでも今、ちゃんと働けてるから(気にせんとがんばれ)」と彼が話したというのです。
祖母方の系統の特徴をそのまま受け継いで口の遅い子どもでしたのに、社会に鍛えてもらってこんなアドバイスができるようになっていたことに驚かされました。
何よりの親孝行でした。