
春の彼岸の入りの今日、仕事帰りに父母のお墓に寄ったところ、すでにお花が入っていました。
生きているときはあんなに厄介な二人でしたのに、亡くなってからは、こうして折々にお花を入れに来てくれる誰かがいるとは、なんと幸せなことでしょう。
周りに居る人間を常に狼狽させた人達でしたのに、死後にいい思い出しか残っていないと思わせるのは、ほんとうは彼らがいい人だったのではないかと、あらためて父母を羨ましく思い出したりしています。
墓の掃除をしながら、「生きる」とは何かと考えさせられました。
子どもを巻き込んで大暴れしてくれた父母でしたから、私は彼らと運命共同体なのだと諦めて生きてきました。でも、そう思っていたのは自分が未熟だったからなのだと漸く気づくことができたようです。
父、母、そして私。家族であったことは紛れもない事実でありましたし、振り回されて泣いて苦しんだのも事実です。
でも、だからといって私の人生を彼らとの関わりで語ることはできないと分かってきました。
家族、一人一人がそれぞれの目的をもって生まれてきて、別々にこの世の修行をします。
彼らは、私の修行を深めるきっかけを提供してくれる人だったのだと墓の前で悟ったことです。
縁あって私の修行を助けてくれた父母に、この年齢に相応しい感謝を捧げてまいりました。

三月五日に始まった啓蟄もいよいよ七十二候末候の「鷹化して鳩となる」というところまできました。
あと三日で春分です。
例年の決まり文句である「暑さ寒さも彼岸まで」も、「お水取りが終わったら関西に春が来る」も、どうもピンとこない春です。
そして、今日の寒の戻り。でも、この寒さは桜には弾みとなるはずですから、十日後を楽しみにいたしましょう。

脱線してしまいました。「鷹化して鳩となる」なのですが、鷹が春の陽気に誘われて鳩になる、というくらいの意味でしょうか。
七十二候に使われるのは”鳥“が一番多いそうで、古来、人は空を自由に飛ぶ姿に憧れをもっていたからだと云われています。
鳥つながりで、鳩居堂。創業357年の老舗文具屋です。この屋号は儒学者、室鳩巣が詩経から取ったそうです。
「維鵲巣有 維鳩居之」(カササギの巣あり、鳩これに居る)
鳩は自分で巣を作らずカササギに托卵するところから、店の名を『鳩居堂』と命名したとか。
長い間、借家住まいの鳩であることが気になって、何代目かの主人が、賴山陽に「借家住まいなんて心苦しい」と相談したそうです。
「我らはみな天地に住まわせてもらっている。先祖からの預かりもの(店)と、謙虚な気持ちで商いに励めばつぶれることはない」
と、答えた賴山陽という人の学識に頭がさがります。
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」
地に足をつけ大地に根を張って生きろというのは、壮年期まで。
以後は、山陽や芭蕉のような捉え方をして生きることを良しとしたいものです。