こころあそびの記

日常に小さな感動を

がんばれ若人

 

 今日も風の冷たい一日でした。早朝、流れる群雲の間から月齢17の月が見え隠れ。昨夕に立待ちしても見えなかった月が見られて少し得した気分で迎えた朝でした。

 

 

 受験の嵐が過ぎて、家の中が少し落ち着いたように感じるのは私が部外者だからかもしれません。相変わらずバタバタしている娘を横目に、知らんぷりして過ごしています。そういう方法でしか孫に接することができない不器用さは、母譲りだと情けなくなります。

 

 

 娘から、普通にしてたらいいのよ。と何回も注意を受けながら、孫とお昼ご飯を食べに出かけました。

 孫の様子を窺いながら、よくまぁ、単語という細切れ単位で覚えることができるねと、「辞書は引かないの?」と訊いたところ、「引く時間がない」と言います。

 そうですよね。思えば、半世紀前、私たちの国家試験問題なぞ先輩から回ってくるノート1冊くらいの暗記で済みました。それが、電話帳何冊分、いやそれも二十年前の話ですから、今ではどんなことになっていることやら。

 

 

 工事現場に、こんな看板がかかっていました。座布団一枚!

 手抜きしてピンポイント勉強をしないと時間がない子どもたちはどんな人間に育つのかという心配が杞憂に過ぎなかったことが、午後から行った高校の合唱祭で明らかになりました。

 各クラスの選曲理由が奮っていました。

 たとえば、セカオワのRAINの歌詞。

 「虹が架かる空には雨が降ってたんだ

   虹はいずれ消えるけど

   雨は草木を育てていくんだ」

 ”そこに魅せられて、この曲を選びました“という言葉に、若い子たちが一生懸命生きていることを感じ取ることができました。普通の感覚が鈍っていなかったのです。

 この子たちは、コロナ禍の真っ只中で十代前半を過ごすことを余儀なくされた世代です。

 私たち世代の呑気さを恥ずかしく思うほど、今の子どもたちが頑張っていることがわかった一日でした。