こころあそびの記

日常に小さな感動を

春に思う

 

 桃の桃色に惹かれます。

 

 

 とはいえ、今日の見通しの悪さはどうでしょう。とても、“遠くの野山が烟る”という表現では済みそうにありません。

 今日の花粉とPM2.5に加えて、明日は大陸から東進中の黄砂が大量に降り注ぐ予報。ふんわりした春霞という言葉自体が死語になってしまうかもしれないなんていやだなぁ。

 

 

 三好達治の「春の日の感想」に従えば。

 「昨日を暗いうしろにすてて

   明日の日を前方に夢見る

   それがけなげな今日のいのちだ」

 三月は、大学進学が叶わなかった孫をめぐって、諦めを乗り越え次のステージに進むために足掻く家族の一部始終を見守って過ごしました。

 まるで、石ころを入れた小箱をガラガラ振るような日々。その音がようやく静かになったので、私自身、心に余裕が戻った気がしています。

 

 

 そう、前を向く健気ないのちが若人には与えられています。

 こんな時おもうのは、この混乱の日々が春であってよかったということです。

 巷で、外国に合わせて秋入学にすべきという声が囁かれます。しかし、三好達治の詩にあるように、春だから希望が前に見えて、人は歩き出せるのです。

 そのことは、四季のうち春という季節が持つ特性です。春は青。今から始まる青春です。夏は繁茂し、秋は収穫、冬は収蔵と考えた古代人の感性は、今でも通用します。

 だから、私は孫たちを後押ししてくれたこの“春”を、愛おしく思っています。たとえ、黄砂で真っ白になった空であっても。

 

 

 再び、達治の詩。

 「春はなんと楽しいのだろう

   地球はなんとゆるやかにめぐることだろう」

 

 詩人が感じた季節の贈り物を、体いっぱい感じて、一方前へ進みたいものです。