
大阪平野の北部に位置する箕面。古代から人が住んでいたかというとそうでもなくて、滝道の中ほどから貝塚が見つかったと仄聞したことがありますから、古代、箕面の大方は海の底だったようです。。
自由学園の坂道の途中に、赤茶けて見るからにやせた土がむき出しになっているところがあります。そこに立てられている看板に、「その昔、ここは海底でありました」と書いてあるのを何回も読んでるのに、それが何万年前とすぐに思い出せないところがのろまのしるしです。
それでも、海だったという記録に感慨を覚えないではいられません。
そんな坂道を先日通りかかりましたら、アカマツがたくさんの花をつけていました。毎年、見る光景なのに、植物に疎いので、この花の仕組みが分かりません。

初めの写真を拡大するとこんな感じです。アカマツは雌雄同株ということで、これは雄花のようです。白いところに花粉が詰まっていて、この花粉散布が済むまで雌花が咲かないのは、自家受粉を防ぐためとは賢いことです。

雌花はこのシュートの先に咲くそうです。
その小さい花に潜り込んで松ぼっくりになるには更に二年ほどかかるとか。
こんな簡便なネット検索で知り得た乏しい知識では、植物が何億年をかけて築いた知恵を理解できるわけがないのは承知の上ですが、それでも、そこに生命を繋いだ者の逞しさがあるように思えて畏敬の念を禁じえません。

さて、先週、今週と動きづめに動いたので、ようやく満腹したのか、「静」の方に舵を切れと体が要求してきました。
だからといって疲れた感じはしなくて、なんだったら今日も何処かへ行きたいくらいなのですが(笑)
そこで、静なる環境である図書館へ文字を求めて行ってきました。
以前、窪田空穂の歌集の中にあった歌で、楽しいことも苦しいこともいろいろあったけど今は無惟の生活をする、と詠んだ本歌を探しています。
ちゃんと、出会ったその時に書き留めるべきなのに、いい加減な性格が、身の回りに起こることをついつい見送ってしまいます。 ”それはだめ“と叱ってくれる人もいない開放感を気持ちよく享受する毎日です。

ところで、窪田空穂の本は年代物ですから、すでに一般書棚には並んでいません。
ですから、図書館の方にお願いして探してもらうという手続きを取らねばなりません。
お恥ずかしい話ですが、私は本食い虫ではなかったので、大形先生の聴講生になるまで、図書館内に書庫というものが存在することを知りませんでした。
書庫に入って本を探す。大学で勉強するということはそういうことだったのかと、大形先生の生徒さん達を見て初めて知ったことです。
いかに勉強と縁遠く過ごしてしまったことでしょう。もったいないことしたな、くらいには悔いたいところです。
ということで、昨日は、阪大図書館で窪田空穂の本を書庫から探して出してもらって、無事に手にすることができました。
昭和三十三年初版で、布張りの重厚感ある装丁は、手の感触ばかりか心まで満たしてくれます。そして、扉を開けると、「万葉秀歌 窪田空穂」と直筆の署名が迎えてくれるという贅沢さ。時の隔たりを忘れさせてくれる、これぞ私のお宝発見です。
借りてきた本を読みながら、連休はゆっくり過ごす予定でいます。