こころあそびの記

日常に小さな感動を

穏やか

 

 暑中見舞いも今日まで。明日は立秋です。

 朝の散歩の途中で、幾筋もまっすぐな畝が完成していたので、耕しておられた農夫さんに訊いてみました。

 「次は何を植えられるのですか?」

 「あぁ、大根とじゃがいも。残ったところに菜の花やブロッコリーかな」

「ええっ。もう菜の花を?」

「種を蒔きます」

 畑仕事は季節と追いかけっこでたいへんです。片時も休む暇はありません。

 「暑いね、この暑さが四十代のときなら耐えられたかもしれないけど、七十過ぎるときついねぇ」

 ご同輩のおっしゃるおとりです。

 「それでも、少し楽になってきたよ」

 「立秋ですもんね」

 彼と話すと、”穏やかに生きる“とはどういうことかを教わる気がします。

 水不足が伝えられる中、この辺りの用水路は細々とですが水が流れて、米も順調に生育してるようで、ほっとして帰ってきました。

 

 

 イチジクが熟して辺りにあの香りが漂っています。好んで食べる方ではないのですが、匂いを嗅ぐと食べたくなる果実です。

 

 

 池の畔の雑草に白い泡が付いています。池の上じゃないから、カエルでないことは分かります。なんだろう、と調べたら虫の卵。暑くても、ちゃんといのち繋いでいるんだね。

 

 

 そうそう。昨日の夕方、キカラスウリの花が開いていました。日没が早くなったから見られるものがもう一つ。上弦の月。今週末には満月を迎えます。

 

 

 私を大形先生に導いて下さった水野杏紀先生の新刊が届きました。

 面白そうな書名でしょ。

 あとがきを読むと、こういう事に興味を持ったのは十代の頃だったとありました。それからずっとその思いが衰えずに学者にまで到達されたことに深い敬意を覚えます。

 計画を立てるためにも、目標は早く持ったほうがいいと云われます。

 ごもっともではありますが、未だにこれと言った目標もなく過ごしている自分の人生は無意味なのでしょうか。

 いったい私はこの先、何がしたくて生きていくのだろう。

 目の前に置かれた宿題をこなすだけで手一杯の毎日ではだめですか?

 今日は加藤康子さんと法輪寺ご住職にお手紙書いて過ごします。