こころあそびの記

日常に小さな感動を

命を削る

 

 「 薄霧のまがきの花の朝じめり

    秋は夕べとたれかいひけむ

              藤原清輔 」

 

 

 清少納言が「秋は夕暮れ」と言ったことに反論して、秋の面白みは夕暮れにだけあるのではなくて、朝霧にしっとり濡れた垣根に咲く花にだって風情を感じるよ、と詠っているのです。

 なるほど。というか平安時代の人の観察力に脱帽です。私も今季はまだ夕暮れのマジックアワーに出会えてないので、却って、曙色に染まった朝雲が浮かぶ空に、金星、木星、月の光が並ぶ朝に心そそられています。

 また、足もとには露をたっぷり含んだツユクサが朝日の方に顔を向けて咲いています。おはよう。小さな青い花が、そう挨拶しているようで、夜が明けることをお互いに喜びあっています。

 

 

 一重の芙蓉の花をあちらこちらで見かけるようになりました。

 

 

 ラクウショウの実が鈴なりです。

 あの酷暑もなんのその。もうすぐ、私の好きな、香りを漂わせてくれることでしょう。

 

 

 ピンク色の曼珠沙華

 

 

 ナンキンハゼの実がいっぱい。

 

 

 今朝の『あんぱん』は、昨日登場したばかりの高知新報の東海林編集長の訃報が知らされるところから始まりました。

 やないたかしさんの「命を削って会いに来てくれた」という台詞に視聴者は泣かされました。

 どうしても果たしておきたいこと。

 自分の胸にそれはあるのだろうか、と考えさせられる朝でした。

 たまたま、本日は花梨の会の長老の九十一歳のお誕生日でした。

 最晩年のこの十年、私たちを支え続けてくださっていることには感謝しかありません。

 どうして、参加し続けてくださるのかお尋ねしたことがあります。

 「漢方に興味があったから」と。

 そうだとしたら、あまりにお粗末な漢方知識を申し訳なく思うばかりです。

 

 東海林編集長が命を削ってでも確認しておきたかったことがあって、それが彼にとって最期の望みだったとしたら、それを果たせたのですから彼は人生を全うしたといえるでしょう。

 では、亡くなってしまえばそれは叶わないのか。

 そんなことはない。その面影を追って、当人がやりたかったことを、残された者がしていけばいいのではないか。

 そんなことをつらつら考える一日でした。