こころあそびの記

日常に小さな感動を

一通の手紙

 

 昨日、篠山で過ごしたせいなのか、始まったばかりの朝ドラ『ばけばけ』のせいなのか、頭の中で明治が渦巻いています。 

『ばけばけ』が始まったとき、その画面の暗さに面くらいませんでしたか?

 今、古民家がブームなのは、わずかな隙間から漏れる明かりに回帰しているからでしょう。

 戦後の建物は、隅々まで届く採光に注力してきました。その揺り戻しがやってきているのかもしれません。

 ドラマが始まって三日目。ようやく画面の暗さに慣れてきて、明治という世の中の豊かさに引き寄せられています。

 貧しかった。それでも力強く生きた。

 そう。私はおばあちゃんを思い出しています。

 

 

 おばあちゃんにとって、私は末娘の産んだ外孫ですから内孫ほどには関わりがないはずです。それでも、よく手伝いに来て、側に居てくれた記憶があります。それは、末娘が気になって仕方なかったからに違いないと、子育てを終え、孫を持つ身になった今だからわかります。

 

 

 私が、ブログを書き始めたのは、おばあちゃんの遺した一通の手紙が発端です。

 それは、私に宛てて書かれたものではありません。伯母が遺品の中から取り出して大切にしていたものです。

 この手紙をピックした伯母は、うわさ通り賢い人だったろうと想像がつきます。それは、この一通で、おばあちゃんの娘時代が偲ばれるからです。

 

 

 曾祖父は鉄道省から国鉄へ。そんな時代に懸命に働いた人でした。

 国鉄の薄給は有名でしたから、家族は貧しい生活を余儀なくされたようです。

 そんな中、おばあちゃんが高女に通っていた時に、当時、磐越西線を敷くために喜多方の公務員宿舎に単身赴任していた父親に、母親の病状が思わしくないことなどを認めています。

 候文が、家長である父親への尊敬と、六人兄妹の長女として留守宅を守る気概を物語っています。

 

 

 伯母は「引き出しの奥になおし放しておかないで、事あるごとに取り出して読むように」と、言い残しています。

 人が、感動するのは「その人が、どう生きたか」を知るときではないでしょうか。

 ですから、私もおばあちゃんの真似をして、平和な時代の平凡な生活を書いています。

 波風のない時代の話ですから、おばあちゃんの手紙のような感動はありません。

 でもね。孫が「おババの書き残した場所を、いつか旅してみたい」と言ってくれています。その言葉に勇気をもらって、書き続けています。