
玉ねぎ小屋が点在する淡路島。
この島は御食国と呼ばれ食材の宝庫であるばかりでなく、山も川も滝もあって日本が凝縮されていることを感じます。さすがは、伊弉諾の神様が天の沼矛で掻き回した雫でできたという神話にふさわしい土地柄で、行くたびにまた来たくなる場所です。

昔は、「暦」は年寄りの慰みものと思っていましたのに、いつの間にか、自分もその年になってしまいました。
昨日10月7日は、暦を見ると、「三碧(わたしの本命星)」「大安」「満月」。十二直は「たつ」、二十八宿は「し」、更には「大明日」。
これだけ揃うことは稀なことではないかと、鳴門に穢れを祓いに行ってきました。

大潮であった昨日の正午の海は豪快に渦を巻いていました。
何度も説明を聞いて、ようやく昨日、納得できたことがありました。

渦潮は、瀬戸内海と太平洋の潮の入れ替わりと単純に説明できるものではありません。
この写真をよく見ると、右が高く、左へ落ち込む様子が見て取れます。
そうなんです。太平洋から流れ込んだ大潮が淡路島に当たって二つに分かれ、片や淡路島の東側、大阪湾から播磨灘に流れて、もう一方はこの鳴門に入ってきます。
大阪湾に回った大潮が鳴門に到来するのは、潮が分かれて6時間後。
ですから、写真の右側は播磨灘から入って来る大潮、左は干潮になった太平洋側です。
この高低差が渦潮が発生する理由の一つと云われます。
世界でも、こんな場所はないとか。そんな貴重な場所がある奇跡を、昔の人は祝詞に遺しています。

1200年以上前、奈良時代から読まれてきた大祓詞の中の最終段。
民草が犯した罪を、神々がどのように祓うのかが書かれています。
「速川の瀬に坐す瀬織津姫という神 大海原に持ち出でなん」
持ち出した罪穢れを荒潮の八潮道に坐す神様へ、それを受けて気吹戸主が根の国底の国へと祓い去って下さり、罪は消えることになります。

罪深い私のことですから、「祓い給え、清め給え」と唱えたくて参りましたのに、あの大渦潮の迫力の前では、すべて飛んでしまって、見入るばかりの時間を過ごしてしまいました。
ですが、あの清浄感は祝詞通りだなという思いは深まるばかりです。
子供の頃から、何度も行って見ているはずなのに、年々、その深さが増しているように感じるのです。