こころあそびの記

日常に小さな感動を

自分流

 

 夕暮れのことを書けずにいましたが、先日、夕焼けに遅れて上った高台で「雀色」が見られました。

 雀色時と書いて夕暮れのこと。

 誰がこんな微妙な色の表現をしたのでしょう。

 江戸時代に出された奢侈禁止令のため、庶民は派手な色や美しい色が着れず、結果、茶系統や紺系統を選ばざるを得なくなりました。

 そのために、微妙な色を見分ける目が養われたとか。

 すべて、結果オーライですね。

 因みに、今朝は下弦の月が空高く浮かんでいました。

 

 

 ところで、五木寛之さんが93歳になられたことを知りまして、自分の青春時代と重なったベストセラー『青春の門』を読んだ日を懐かしく思い出しました。

 その五木さんが、『到知』に「五十代の人には五十代の歩き方がある。八十代の人には八十代の運動の仕方がある」と書いておられるのを見て、合点!同感でございますと、膝をうったことです。

 私が、いつも、どう説明したら分かってもらえるだろうかと立ち止まってしまうところを、さすがに大作家は違いますね。さらっと、書いておられます。

 そう、いつの時代も健康法は人々の興味を誘いますが、だんだんに年取ってきますと一般にいわれる健康法が自分に合わないことを感じることが多くなってくるものです。

 そこで、はたと、気づくわけです。五木さんもそのお一人のようです。

 

 

 若かりし日々のことは想像がついても、その年齢になってみないとわからないことがあるのが人間です。

 だから、長生きして一通り生きてみるのも価値ありともいえるのでしょう。

 

 

 たとえば、服薬。その薬、いつまで飲みますか?

 たとえば、運動法。いつまでがんばりますか?

 食事にしても、いつまで、「マゴハヤサシイ」にこだわりますか?

 食べないほうが良い。と云われて迷いはありませんか?

 これだけ情報が乱れ飛ぶと、自分をしっかり持たないと、流れ流れてとんでもないところに連れて行かれてしまいそうです。

 身を守るには、どうしたら良いか。

 それは、自分流を大切にすることです。

 自分が気持ちいいとか楽だなと思うなら、そちらを優先すべきなのです。

 「〜ねばならない」なんて何一つない年齢になったのです。自由に謳歌いたしましょう。