こころあそびの記

日常に小さな感動を

あの頃は

 

 昨日、会った友達は大学時代、生薬クラブで野山を歩き回った経歴をお持ちです。私みたいなにわか愛好家でないところが、頼もしいところです。

 つばさ公園でそこらじゅうに咲いていた白い花。ジャガイモみたいだけど紫色ではありません。

「これ何?」

「ワルナスビ。悪魔のトマトともいうよ」

 牧野富太郎博士のネーミングで、博士自身が我ながらとご自慢に思われている命名だそうです。

 それにしても、こんなに広範囲に咲き誇るってどういうこと?

 それは、地下茎で増えていくため一度根付くと厄介な植物で、しかも、一見、ミニトマトみたいな実はソラニンを含み、誤食が危ぶまれる困りものらしいです。

 調べてみたら外来注意種でした。つばさ公園は今から駆除に頭を悩ませることになるかもですね。

 そんなことを教えてくれるよき友です。

 

 

 さて、昨日から一転、青空が広がる今朝の空に深呼吸を一つ。

 私の決まり事は、外に出たら、まず空を見上げることです。

 今朝のように朝日に照らされて真っ白に輝く雲が見られると、胸がすく思いがします。

 別に、わだかまりが溜まっているわけでもないのに、気持ちが軽くなるとはどういうことなのでしょう。

 それこそが天然の効用なのかもしれません。

 心を洗う。それが叶う瞬間を意識することで、人は何度も生まれ変われる気がします。

 

 

 基。長く付き合える友達というのは何か共通項があるものです。

 昨日の彼女は、植物に関しては師匠ですが、話が盛り上がるのはお互いの母親のことです。

 昭和初期生まれの母たちは、それはそれは怖かったという思いを分かち合える友なのです。

 当時のいけいけどんどんの世相がそうさせたのか、はたまた辰年生まれの勢いが最後まで衰えなかったのか。それは分かりませんが面白いほど似ているんです。

 女は勉強はしなくていい。それが、あの時代のお嫁さんの条件だったことなど、今となっては笑い草ですが、そんな諸々の理不尽に共感してくれる友がいることをうれしく思います。

 

 

 居心地が悪い場所から何としても脱出したい。それがあの頃の自分の一番の望みでした。

 ところが、今、親子は友達ですから、いつまでも一緒を望んでいるように見えます。

 中には、親は子どもを育てる義務があるから、居候は権利だとまで言い出す始末。

 親の権利なんてそっちのけです。母たちの年代の人が聞いたらびっくりして、怒り出すでしょうね。

 小学校六年生のときのこと。

 民主主義とか平等だとかいうアメリカ主導の考え方が入ってきたのでしょう。授業で先生がおっしゃいました。「君たちの家でも家庭会議をしてごらん」と。

 母に言ったら、即刻取り下げでした。その後、先生に文句を言いに行ってないことを祈るばかりです。