こころあそびの記

日常に小さな感動を

同音同意

 

 昨夕、夕陽が眩しく輝き始めたので散歩に出てみました。

 いつもの坂道から、六甲山に沈んでゆく太陽が雲に入っていくところが見えました。

 今からどんなドラマが始まるのだろうと、もう一つのビューポイントに急ぎました。

 そこは、先頃、旧宅が壊されたために見通しが最高の場所です。知る人ぞ知ると思っていたら、すでにどなたかが陣取っておられました。

 望遠レンズを三脚にセットしてカメラを覗いたり、空を見上げたり。

 側に、脚立をくくりつけたオートバイが停められてありました。

 「これからどんな景色になるのでしょう」と話しかけたら、

「さっきまではよかったけど、雲がでてきたから・・」。

 そこへ、坂道をゆっくり上ってきたご老人も話しかけられます。

 「なにを撮ってるの?」

 「夕陽と飛行機です」。

 

 

 ここは伊丹空港から飛び立つ飛行機のビューポイントだから、マニアには垂涎の的となっているのですね。

 夕焼け空に映る機影。

 楽しみは、人の数だけあることにほっこりしました。

 

 

 ちょうど、秋祭りの太鼓の音が聞こえる夕暮れでした。

 古代、人間は何かを叩いて音を出すことを始め、そのうち太鼓を発明して、その音が大地に響くことを知ったと思われます。

 太鼓が巡行するのは、氏子の住む地域を浄めるためです。大地に潜む鬼たちは、大きな音と響きに驚いて逃げ出すというわけです。

 

 恐ろしい鬼と汚れのない神が、なぜかセットであることは興味深いことです。

 たとえば、秋田の重要無形民俗文化財である「なまはげ」。

 恐ろしさに泣き出す子供がテレビに映し出されます。

 「なまはげ」は鬼ではないそうですが、その形相やいでたちは恐ろしさを象徴するものです。

 恐怖が邪気を追い払ったところに、神様をお迎えする。

 恐れは、畏れ。

 同音だから同じ意味があるのではと気づきました。

 

 怖い親と嘆いた日々も、のちに、それが自分を育てたと思えるのと似ています。