お誘いを受けて勝尾寺に行ってまいりました。
山道をくねくねと運転していると、やまふじが盛りでした。お好みもありましょうが、人為的な藤棚よりも、この自然の花に軍配を上げたくなるのは人情でしょう。新緑の中に薄紫色が映える様はほんとうに美しくて、車を停めたくなるのをグッとこらえて上り続けたことでした。
信号待ちの折に、ふと見上げた山肌に、椎の花が咲いているのを見つけてしまいました。うかうかしているうちに、もう夏の到来です。
椎の花八重立つ雲の如くにも
野村泊月
ご一緒した方にご報告したら、えっ?知らなかったわ、と。私だって、箕面大滝に向かう道に立つ歌碑を読むまでは知らなかった花ですと、お教えしたことです。
知らなかったことを一つ知れば、一つ加算されるだけではなくて何倍も楽しみが膨らみます。
それは、年齢には関係ない喜びだと思う今日この頃です。
シャクナゲが盛りを過ぎようとしていました。
このお寺の石段脇のシャクナゲは、室生寺を思い出させます。あそこは箕面よりも寒いでしょうから、見頃を迎えているかもしれません。
母が好きだった大手鞠。
綺麗に整備されつつあるお寺ですから、お花がいっぱいです。
シャガの群生。
ところで、今日の目的は、市軸神社の宮司さんが、こちらの荒神さんの前で祝詞を読み上げる儀式に同行することでした。
宝塚線には、有名な清荒神さんがあります。ですから、そこが日本最初の荒神さんだと思っていました。
しかし、お寺の入り口に書いてある通り、日本最初の荒神さんは勝尾寺にあったのです。
たまたま、入り口で法螺貝を吹いておられた副住職さんが、その縁起を説明くださいました。
ここに草庵を建てて修行しようとしたお坊様の写経用紙がなくなることが頻発。それは、この土地神様であった荒神さんの仕業だったそうです。
そこで、丁重に荒神さんをお祀りしたところ、なくなった紙がでてきたとか。
今から1300年も前のお話です。
でも、なぜ、神社がお寺に祝詞をあげにいくの?
それは、元々、神仏混淆であった名残です。
日本の神様は懐がでかいので、外来であろうと、自然であろうと全てを受け入れてくださいます。
私たちの先祖も、そうやって国体を作り上げてきました。
なのに、それをいいことにして、外来勢力が幅をきかせては、日本がなくなってしまいます。
なにかとややこしい世の中になりました。