こころあそびの記

日常に小さな感動を

藤の川関頑張れ!

 

 大相撲名古屋場所が始まって、夕方の散歩の時間がずれ込み、わんこに催促されっぱなしです。

 声にならない声で鳴くのです。

 彼の腹時計の確かさには驚かされます。

 でもね、いい言い訳があるんです。ちょっと待って。まだアスファルトが熱いからねと。

 急な夏日、猛暑日に体がついかない毎日、皆様お体おいといくださいませ。

 

 

 一昨日でしたか、元、貴景勝の湊川親方が解説の中で「ふくらはぎ」に言及されていました。

 立ち会いの強さは、ふくらはぎのりっぱさと関係あるとか。

 それを聞いて、福音ととった女性と悩みが助長された女性がおられたのではないでしょうか。

 私は後者。鈍足で太いだけの足にずっと卑下してきました。まぁ、第二の心臓が立派に機能してくれているのなら文句は言えませんが。

 

 

 ところで、昨日の藤の川の取り組み。ご覧になりましたか?

 戦後初の連続四金星という大記録を打ち立てました。

 お父さまがお喜びだろうなぁ、と拝察しています。

 というのは、「相撲健康体操」というYouTube番組で、親しみやすく分かりやすい動画が上がっていまして、以前から優しい親方だなぁと存じ上げてきたからです。

 毎日、励行すればよいものの、近ごろさぼっていることに昨日気づいて、また見たくなりました。そう、み.て.る.だ.け(笑)

 

 

 四股を踏むことや股わりなど、快適な現代生活のためにやらなくなった姿勢があります。それが意外な不調に繋がっているとは考えも及ばないことですが、関連を指摘するドクターがおられることも事実です。

 たとえば、洋式トイレ。

 昔の人はトイレに座ることなく、そのたびにしゃがんで用をたしました。そうすることで、股関節や骨盤底筋などが自然と鍛えられたそうです。

 今、若い人まで尿漏れを訴えます。

 ゆるゆるの生活環境は、他にもいろいろありそうで、そんなときは、昔はどうしてたかしらと考えるのも有効な手段になるかもしれません。

 

 

 最後に藤の川関へのエールです。

 お母さんは彼が小学三年生のとき病気で亡くなられ、それ以後、お父さまである親方が男手一つで育ててこられたそうです。

 身長177cm、体重は幕内最軽量の123kg。お父上に似て小兵です。

 その体で昨日は豊昇龍を負かしたのですから、人気も鰻上りなのは当然のことです。

 あのお顔がいいですよね。

 人生にドラマのある人が好きな私ですから、今日からも応援していきます。

タコを求めて

 

 明日は一番上の孫の二十歳の誕生日。

 そのパーティーのために、娘の大好物のタコを求めて何千里(なんで?)。明石で買うつもりでしたが、昼網が上がるまで少し時間がありましたので、時間をつぶそうと、淡路島までジェノバラインで渡ってみました。

 着くやいなや、あちらの観光案内所で「活タコ」売ってる魚屋さんありますか?」と尋ねまして、教えてもらった番号に電話してみたら「ごめん、今日は漁に出てないねん」とのお応えに、がっかり。あとは帰りに明石の魚の棚にかけるしかありません。

 さてと。あと二、三時間を、どうつぶすか。

 どうしよう。すぐに思いついたのが、「江井」でした。

 「あの、江井に行けますか?」

 「行けますよ。もう直ぐバスが出るよ。あのバスに乗って!」

 教えてもらった巡回バスで一時間、淡路島の西側の海岸線を走りました。

 

 

 山本コータローさんの「岬めぐり」がぴったりする曲がりくねった海岸線からは青い海と空がどこまでも広がって、一年分くらい貯金ができた気がしました。

 江井は父方が大阪に出るまで、川でエビ捕っていたと聞いたことがあります。

 つまりは、二分の一のふる里です。

 幼稚園の頃は、夏休みはここで過ごして、海で真っ黒になるまで泳いでいました。

 そんな記憶は、もうとっくに消えているはずなのに、バスを降りて、海の方に下っていく道に、なぜか懐かしさを感じました。

 

 

 江井のバス停に先客がお一人おられました。

 兵庫県スタンプラリーで、集印されているそうです。

 スタンプラリーという課題を自分に課して、暑いからという理由にかこつけて、一日を無駄にすることを避けたい。

 そんな思いを共有したことです。

 

 

 魚の棚アーケードはタコマークです。

 祇園祭も天神祭もタコ抜きには語れません。

 さてさて、ミッションはコンプリートできるかと、商店街に入りました。タコ探しの開始です。

 

 

 ありました!

 娘のあだなは「タコ娘」。幼いときから、生だこの湯がきだちが大好物なんです。

 

 

 持ち帰ったタコを、なれた手順で湯がいて、早速、娘と孫娘と三人で賞味。

 噛みごたえのあるタコを、久しぶりに口にできたと大喜びでした。お相伴した孫娘、この子もタコ孫になりそうで、わが家はタコの天敵家族です。

お気をつけ遊ばせ

 

 仕事帰りにカーラジオから拾った、あるあるの話題を一つ。

 「あんな、俺、こないだ友だちにおごったってん。そいつ会計の前に、うまくなかったなぁ、って言いよってん。俺が払たったのにやで」

 あるあるですよね。

 美味しくない店に当たってしまったとき言ってしまいがちですが、そこは我慢。後日、そんなこともあったね~という時まで辛抱しんぼう。

 

 

 会計を持つ方にしても、こんな所に連れてきてしまってと、申し訳ない気持ちになってるものです。

 というのは私の経験です。

 以前、とある観光地で何回か札止めになってるお店を見つけたんです。

 そういうのって、大人気で仕入れ分が売れてしまったと思うじゃないですか。そんな手口があることを知らない純な観光客は、すっかり騙されてしまって、「きっと、すごく美味しいんやわ」と信じてしまったというわけです。

 なので、次に午前中に店の前を通った時は是非行ってみよう!と決めていました。

 

 

 そして、そのチャンス到来。知り合いを誘ってしまったのです。

 なんと、多分、外国人が経営する外国食材のお店で、食べた後は、胸焼けがひどいことになりました。

 こんな所に連れてきたことを、どのタイミングで詫びるか。そればっかり気になった食事でした。

 連れから不味かった、とは言えないのは当たり前ですから、気を使ってくれて、この値段ではないわと安価に気を逸らしてくれる気遣いが、また堪えました。

 

 

 美味しくない。それをいつ言うか。奢る方か、奢られる方か。

 私は、その後、メールで詫びを入れました。

 皆さま、くれぐれもお気をつけ遊ばせ。

 国内の観光地に巣くう荒稼ぎ商人が増殖中です。騙される方が阿呆という決まりになっています。

限界

 

 毎朝、今日のお弁当はいくつ作るんだっけ、と目が覚めます。

 今朝も一瞬ドキッとしたあとで、日曜日だったことに気がついて一安心。ところが、枕元の『私本太平記4』が、早く読んでちょうだいと催促の様子です。

 返却日が迫ってきたので、きのうから慌てて読んでます。

 歴史を全く知らないものにとっては、この先の展開は分かりません。

 ただ、物語が佳境に入ってきたことは感じます。

 

 

 北条幕府が転覆の危機にあります。

 都では、六波羅探題側と、宮方との戦いが始まろうとしていますし、後醍醐天皇から綸旨(りんじ)を受けた足利高氏が寝返って、宮方について一旗上げようと目論んでいるところです。

 自分も過去に男に生まれたこともあったでしょうに、どうも、こういう駆け引きは好きません。

 なんて、ややこしいのでしょうか。

 吉川英治さんは、ところどころに解説をいれてくださっているので、それを頼りに読み進んでいるような状態です。

 

 

 今夜の『豊臣兄弟!』は「本能寺」でした。

 旧暦で6月2日の出来事と記録されていますから、現在の暦で7月15日。きょうの明け方のお話です。

 鎌倉時代の政変もわかりづらいですが、この織田信長の死も本当のところは解明できていないのは仕方ないでしょう。心の内は誰にも分からないと思われるからです。

 今夜は新しい解釈で、信長の弟、信勝の息子が親の敵である信長を追い詰めることになったという設定でした。

 難しい信澄役を演じきられた緒形敦さんは、緒形拳さんのお孫さんだとか。どおりで、はないでしょうが、思わず蛙の子は蛙という言葉を思い出してしました。

 北条が倒れる状況も、信長が倒されたときも、周りの人間の秘密裏の動きがありました。そうなるに至ったのは、小さな綻びや恨みだけではなかったはず。もし、主君がそれをカバーできる大きな人間であれば、家臣は裏切らずにすんだかもしません。

 誰かがリーダーになって国を動かさねばならないのは、現代も同じです。

 あれほど支持された高市政権も、近頃はボロが出て一枚板になれないと伝わります。

 悲しいかな、人間社会の限界を感じてしまうのは老婆心でしょうか。

漢字

 

 ホテイアオイの子どもが増殖中です。

 こんなに順調に増えたのは初めてのこと。どなたかが、メダカを入れると増えると書いておられましたが、確かにメダカの子が育っていることは事実です。

 娘は、目を楽しませてくれた色付きメダカが大雨で流されたことを、いまだに悔いています。

 一匹だけ買ってきて、そぉっと入れてみようかな?

 

 

 きのうの予告を読んで下さった方から、「観ました!」とご報告ありました。

 大形先生の『チコちゃん』出演です。

 うちの家族も観てくれまして、「おひげのばしてはるん?」との感想を寄せてくれました。(それだけかい!(笑))

 

 

 話の内容は先生お得意の漢字の起源でした。

 「道」。しんにょうは道を表し、その上に乗ってる首は生首。異民族が邪気を払うために生首を持って歩いているところです。

 古代中国の歴史が、漢字を通して見える気がします。

 「幸」。古代の責め具である手枷(てかせ)の象形文字です。手枷くらいですんで良かったから幸せ。

 「爽」。真ん中の大は人型。人の死体に入れ墨をして穢れをとることから、さわやかの意へ。

 凡人は、大陸の文化が如何におぞましいものかと考えるだけで恐ろしくなりますのに、そんなことは意に介さず、ポーカーフェイスで勉強を続けておられる大形先生は凄いです。

 文系に興味の持てなかった自分ですが、理系に勝るとも劣らない膨大な資料の山に分け入る探究心が、全く衰えないことに感心しています。

 理系は未来に挑戦するとすると、文系は人類の起源まで遡るというところに違いがあったのですね。

 そんなことも知らずに長々と生きてきましたが、大形先生に出会ったことで、その違いを知ることができたのはありがたいことでした。

 

 

 蛇足ですが、『地獄におちるわよ』で、「孤悲」を恋として、細木さんが説明されるシーンを、なるほどと思われた方も多かったようですが、万葉仮名は音を借りただけで、意味はありませんでした。

 孤悲死牟後物語何為牟生日之為社妹呼欲見為礼

         万葉集 巻4-0560 大伴百代

 それでも、悶々と人思う恋しさが合致するところに、不思議な面白さを感じます。

活動期!

 

 急に夏本番の暑さになってしまいました。

 しかし、これくらいで負けていては今から続く猛暑に耐え抜けないとばかり、盆踊りの練習に片道三十分を歩いて行ってまいりました。

 箕面川の浅瀬でカワウが羽根を乾かしているのを見つけて、あまり増えないでね、どうぞお手柔らかにと声かけながら行きました。

 

 

 高齢者の集まりというものは人生の見本市みたいなものですから、どなたにも長い年月を生きてきた集大成が現れています。

 今日、部屋からはみ出しそうに多数の出席者で埋まったのは、夏!になったからなのでしょうか。

 夏。東洋医学では「活動の時」です。

 体は、敏感に察知して動き出したくなる。高齢になっても外に出たくなるのは、そのセンサーが健全に働いている証拠です。

 体は季節に合わせて変化します。殆ど自覚はありませんが、今、汗腺は全開です。

 体内に熱が籠もらないように、懸命に排熱しています。その一助として活発に動くのです。

 それが、秋になれば、ちゃんと閉じて、冬の準備に入ります。

 ほんと、ぼーっと生きてんじゃないよ!なんて、つまらない言葉を誰が考えたのかな?

 ぼーっとしてても、身体はちゃんとコントロールしてるんだよね。しっかり生きてるんだから叱らないでね。

 ここで、お知らせ。今晩の「チコちゃん」に大形先生が出演されます。お時間許せばご覧ください。

 

 

 盆踊りの練習している公民館の隣にお寺がありまして、こんな素敵な言葉のカレンダーが掲示されていました。

 「だいじ だいじ いつでも どこでも」。

 このお寺の住職さんが、それはそれは盆踊りがお上手なんです。リズムに乗って体を動かされます。この方が来られると、場が明るく元気になるんです。

 今日は来られたので、熱気ムンムンでした。

 

 

 『致知』を読んでたら、京大皮膚科学、椛島健治教授のインタビュー記事がありまして、自分が薬剤師として働き始めた頃を思い出しました。

 右も左もどころか、ろくな勉強もせずに箪笥免許を取得。それを突然使い始めたのは四十代。

 皮膚科の門前でした。毎日毎日、たくさんの患者さんで溢れかえっていました。

 皮膚は五行の色体表では、肺のグループです。

 肺、大腸、皮膚は免疫と関連します。

 その免疫に興味を持って、椛島先生はこの道を歩いてこられたそうです。

 その先生がインタビューの最後におっしゃっているのが「置かれた場所で花を咲かせる生き方が大切」という言葉です。

 あぁ、この方も渡辺和子先生のご本のファンなのかな?

 与えられた環境の中で、なにを学ぶか。

 たとえ、いやなことがあっても腐らない生き様が、つぎに繋がると。

 明日も前向いて歩きましょう。

健やかであれば

 

 上空はどこまでも青一色。

 梅雨明け三日に雨なしという言葉通りに明けた朝は、秋を思わせるさわやかさでした。

 

 

 空に突き刺さるように力強く動くクレーン車の音に、夏本番を感じます。

 

 

 きのう出会った人が、「あとで知ったんですが、私たち夫婦は先祖を辿れば縁があった家どおしやったんです」とお話しされました。

 同じことを違う人からも聞いたことあります。

 赤い糸は確かに存在するのでしょう。見えないどなたかに差配されているこの世界。見えないけれどもあるんだよ~は作り話ではないことを思うと、謙虚に生きざるをえません。

 そして、たとえ血縁が繋がっていなくとも、過去世のどこかで、袖擦りあったことがあったとか、お世話になったとか。そういう縁がこの世で再会するきっかけをつくることもあります。

 

 

 本田圭佑さんの近大での卒業講演を聞きました。

 「夢に限界を作るな」。なりたい自分になるには、自ら知らず知らずに設定してしまっている壁を取っ払えということでしょう。

 彼は、このモットー通りに世界に飛び出していって、勝ち組になりました。

 彼は、人は環境に左右されるとおっしゃっています。それも一理ありましょう。だから自分の夢に最も効果的な環境を探すべきといわれます。

 そのとき、ふと渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」の対局だと感じました。

 自分の居場所を探す旅は魅力的ですが勇気が必要です。

 だからといって、いつの間にかたどり着いた着地点で咲くのも簡単ではなくて、我慢や自制心が要ります。

 結局のところ、ひとりひとりに与えられた課題はみんな違うということだと思います。そこに、生まれてきたわけがある。そう思うと他人と比べることなんて意味がないことがよく分かります。

 ただ、ご縁だけは自分ごとですまされない分、大切にしなければなりません。なのに、今まで、どれほどの人にご迷惑かけてきたことやら。その方のお顔が思い浮かぶたびに反省とお詫びを繰り返す日々は、まだまだ続きそうです。