こころあそびの記

日常に小さな感動を

王さまじゃなくて

 

 

 スタバのYouTube音楽の画面で蝶々が飛んでます。

 うちの庭で見かける蝶なのに、名前が直ぐに出てこない。情けないことです。

 

 

 今朝の『美の壺』のテーマは”蝶“でした。

 元、セーリング選手という経歴の持ち主、佐竹美都子さんが、今は蝶々をモチーフにした西陣織で活躍されている様子が映し出されていました。

 着物に、折り目正しく生きてきた日本人の姿を感じてほしいという願いを込めておられるそうです。

 

 そして、自身がセーリングで海を渡っている時に出会ったのが、アサギマダラだといいます。

 アサギマダラは2000kmを移動するといわれる、まさに地球を越えて生きる生命力と、その美しさに魅了されます。

 

 

 浅葱色の”あさぎ“とは明るい青緑色というのでしょうか。

 新撰組が羽織に使用した色といえば、イメージしやすいです。

 この色のことを調べていたら、”武士の死に装束の色“と出てきました。

 それは、古代中国の周の萇弘(ちょうこう)が君主に忠義をつくしたにも関わらず、信任されなかったために自死し、その三年後、その血が青く美しい碧玉になったという古事に因んでいるとか。

 浅葱色にこんな言い伝えがあったとは。

 こういう話は苦手なのですが、「碧」には興味が湧いたので、漢和辞典を開いたところ、部首の「王」は「玉」の意味とありました。

 これは、先日、大形先生の授業で習ったばかりです。

 王という字のもとは、玉(ぎょく)なのです。古代ばかりでなく、今でも、中国の人は玉が好きで、留学生は殆ど玉の腕輪をしています。

 国を離れるとき、親が「どうか邪気に犯されませんように」という願いをこめて持たせたものです。

 

 緑の腕輪が多いのですが、先日会った人は赤色の腕輪を身につけていました。わけを訊くと、四柱に火がなかったからと。不足を補う役目もあるみたいです。

 それから、日本人は透明な玉が好みです。例えば水晶とかダイアモンドとか。

 なのに、なぜか中国では不透明な玉が好まれます。

 こんな違いにも、お国柄が反映されて、興味深く思っています。

 

 

 ところで、今朝の「朝の詩」に掲載された8歳のお嬢ちゃんの詩には、壮大な宇宙観がありました。

 

 どうして雨が降るの。それは、地球がシャワーを浴びてるから。

 どうして海があるの。それは、地球がお風呂に入ってるってこと。

 

 そんなことに気づける感性に脱帽しました。

 これが、先ほどの佐竹美都子さんと重なり合って、目の前しか見えていない自分に、もっと広く見渡す目を持てと警鐘を鳴らしてくれた気がしました。

気分転換

 

 アジサイが色付き始めました。

 

 

 我が家の紫陽花の色は途中で青から赤に、赤から青に変わりませんが、近頃は、七変化していく種類も出回っているようです。

 野山に自分の居場所を定めて生きる草花の姿を愛した牧野博士が聞かれたら、さぞかし驚かれることでしょう。

 置かれた場所で生ききる。それでは、満足できなくなった現代人の考えそうなことです。

 

 

 

 はずかしながら、お相撲が始まるたびに、応援したくなる力士が違ってるかもしれませんが、今場所の押しは「朝乃山」です。

 昨日、今日と三敗を喫したことは残念でした。

 彼は、コロナ禍に遊びに出歩いたことに責めを受け、六場所、一年余りを棒に振りました。

 規則違反は大いに反省すべきとは思います。が、彼が登場すると場内の声援は一段と盛り上がります。

 それでは、甘いのかもしれません。でも、このくらいのゆるさが許される社会であってもいいのでは、と思って見ています。

 当然ながら、辛い裁きに苦しんだのは彼自身でしょう。

 休場中にお祖父様、お父様を亡くし、一時は相撲を続ける気力を無くしたといいます。

 それでも、「富山のスーパースターになれ!」というみんなの期待を思いお越し、奮起して土俵に戻ってきました。

 

 

 花道の奥で若い衆が抱えている控え座布団に「風吹ジュン」という染め抜きを見つけたのは、最近のことです。

 富山出身の五人が朝乃山の復活を祝って作ったものだそうです。

 俳優の西村まさ彦さん、落語家の立川志の輔さん、女優の柴田理恵さんと室井滋さん、それに風吹ジュンさんです。

 贈られる方はもちろんのこと、贈る方にもうれしいことです。

 幕内に帰ってこられて、本当に良かった。

 

 今場所は優勝を逃しましたが、残り二番。全力応援したくなる富山人です。

 

 話は変わりますが、いつか、「あんたは丙(ひのえ)やから、じっとしてられへんよ」と、いわれたことがあります。

 その通り。

 まだ、足は完璧ではないのに、ちょっと良くなったように思ったら、もう、動きたくてうずうずしてしまいます。

 今日は、そんな日でした。

 とはいえ、遠くに行けるわけでもありません。近場です。

 いつもと違うスーパーに行って、孫のおやつを選んで、本屋に立ち寄って。

 

 

 それでも足りなくて、美容室に行ってみることに。半年前、近くに新規オープンしたお店です。ちょっとした冒険心を持って入ってみました。

 担当してくれたのは、福岡出身の若者でした。

 大手のチェーン店で出会った先輩に憧れて、先輩の出店に合わせて飛び出してきたそうです。

 たった一回の短い人生で、この人のこと大好き!と思える人に会えることほどの幸せはないと思います。

 すべては真似から始まるということを考えると、好きな人の真似ほど自分を成長させることはありません。

 願わくば、あの青年の人生に栄光がありますように。

 若い人の夢いっぱいの話しぶりに元気づけられたからか、もやもや感はすっかり洗い流され、リフレッシュしたことです。

宵の明星は今が旬です!

 

 足の調子が悪くて、夕方に出かけることを長らく控えています。

 お空のドラマを見に行きたい。

 そう思っていたら、大形先生のラインにこんなにきれいな夕空が上がっていました。

 

 

 お月様は今、新月から三日月へ、そして、徐々に半月に向かっています。

 写真をよ~く見ると、三日月の左側半分が光って見えています。

 これが「地球照(earth shine)」です。双眼鏡なら見えます。天文の本には、そう書いてあるのに、用事があったり、こちらはフリーでもあちらは雲の中だったりと、なかなか観察がかないません。

 

 地球照とは、月が欠けて暗くなっているところが、ぼんやり見える現象のことです。

 その光はどこから来てるの?

 それは、太陽から発した光が、地球に当たり、その反射光が月を照らしているそうです。

 私たちの目に入るまでに、どれほどの旅をしてきた光なんでしょう。

 その遠い旅路に思いを馳せられることが、天体観測の楽しさでもあり、同時に哲学でもあります。

 

 

 これは、富山天文台から拝借した図です。

 メソポタミアの人たちが見ていた空にも、太陽と月と金星が描かれています。

 紀元前の空はどれほど美しかったことでしょう。

 星は数え切れないほど夜空を埋め尽くしていたはずなのに、金星はそれとはっきり分かるほど、その輝きを誇っていたのですね。

 それから何千年隔てた現代人の目にも同じ星の光が届いていることに感動を覚えます。

 見えてあたりまえ。は、もったいない気がします。

 

 

 

 そして、月の直ぐ左で輝く一等星が金星です。宵の明星。太陽が沈めば真っ先に光りだす一番星です。

 この星が美しいのは“今”です。

 西側に光るのは8月末あたりまでです。9月には東側の明けの明星として上ってきます。早起きさんしか、お目にかかれない星になりますから、今がお得というわけです。

 

 それから、よ~く見ると、お月様の上に2つ並んだ星が写っているのが、双子座のカストルポルックスです。

 その左側、少し離れた赤色の星は火星。

 あきることない天体観察です。

 

 

 やれやれ、今宵は雲が出てきました。

 しばらくの雨予報が恨めしいことです。

 次にお目にかかれる日には、暗がりでもスイスイ歩けるようになっていたいです。

白雲に乗って

 

 昨日、今日と雲が美しい日が続きます。

 風はさわやかに吹き渡り、空はどこまでも青くて。宇宙の果てまで続いているという表現にぴったりです。

 

 

 その空間に浮かんで流れていく白雲に話しかけたくなる気持ちも分かります。

   

      『雲』  山村暮鳥

        おうい 雲よ

  ゆうゆうと

  馬鹿にのんきそうじゃないか

  どこまでゆくんだ

  ずっと 

        磐城平のほうまでゆくんか

 

 ひとりぼっちを好むのか、それとも複雑な境遇から逃げたいのか。

 暮鳥はどんな心で、白い雲を追いかけたのでしょう。

 この世の塵芥を忘れさせる白雲は、天が用意した徳といえるのかもしれません。

 

 

 『荘子』天地篇には、

「 千年の長寿で人生に厭きたら

  この世を去って 天に昇り

  あの白雲に乗って

  天帝の楽園に行く 」

 とあります。

 

 ゆったりと浮かぶ白雲を見ていると、しばし自分を離れる心地がします。

 古人は、涯ない蒼空の上に楽園があると考え、そこに仙人が住む国があると考えました。遠い超俗の境地です。

 

 今、空を見上げて入り込んだ世界は、先人も体験したところだと思えば、時の隔たりが消える思いがします。

 不変の循環をありがたく思います。

 

 

 ところで、今日、七人目の孫が誕生しました。

 朝から、仏壇にお線香上げて、「無事に生まれますように」とお願いするようになったのは、年のせいでしょうか。

 私たちの親も、そのまた親も、同じように祈ってくれたはずです。私もまた祈れる年まで元気に生かしてもらったことに感謝です。

 子や孫が、この先、元気に生きていけますように。

 手を合わすことが、年寄りにできるただ一つのおつとめです。

加藤康子さんからの返信!

 

 間に合うかしらと、ドキドキして千里川まで下りてみました。

 遠く方に、紫色の花が見えたときは、足の痛みもどこへやら。思い切って来てよかった。

 栴檀の花は美しく咲いていました。

 

 清少納言が、「木のさまは にくげなれど 楝(おうち)の花いとおかし」と枕草子に取り上げた花です。

 

 また、山上憶良は「妹が見し楝の花は散りぬべし わが泣く涙いまだ干なくに」と、死んでいく女性への送別に詠んでいます。

 それが、相手の高貴さを栴檀の花にたとえたものなのかどうかは知る由もありませんが、のちの時代には、栴檀の木が絞首刑場の入り口に植えられていたと伝わっています。

 

 五月の空に栴檀の花はよく似合います。爽やかに軽やかに風に揺れる姿は、どんな歴史を経ようと、私には好ましく思われる花です。

 

 

 ところで、『花梨の会』では、巷に溢れる情報を探るのではなく、純粋に”(健康に)生きること”をテーマにしています。

 前回は、「心震える感動が夢を見ることにつながる」というお話を参加者から頂戴しました。

 心に「夢」があれば、古今東西、老若男女に関わらず、生きる力が湧くことは、理解できるのではないでしょうか。

 

 他者の夢に便乗できない意固地な性分の私です。そんなあんたは夢を語る資格はないのではと言われそうです。

 しかし、そんな私も夢見ることがあるのです。それは、自分の夢と同じ夢を見ている人に出会った時です。

 今回、心の底からふるえる経験をしました。

 

 

 昨日のこと。

 ポストを覗いたら、私宛の葉書が一枚ありました。

 なんと!加藤康子さんからのお葉書でした。

 「お手紙ありがとうございます お返事遅くなりました」

という書き出しだけで、もう十分幸せでした。

 いつか、お話したように、私は、なんなら、「加藤康子さん」のファンクラブを作りたいという気持ちでいます。

 それは、誰?

 ご説明いたしますと、加藤六月さんのお嬢さんで「産業遺産情報センター」のセンター長をされています。

 明治時代に日本を立ち上がらせた数々の遺産を今に伝えて、元気を失いかけている日本を再生する力にすることを訴えておられます。

 私が胸を熱くできるお仕事です。

 ですので、いつかブログに書きましたように、興奮した勢いでファンレターを書いてしまったのは、1ヶ月ほど前でした。

 頑固な割に尻軽ミーハーで困ったもんです。

 その返信が舞い込んだのです。

 この舞い上がりは、しばらく続きそうです。

 なぜなら、自筆の文面に優しさが感じられたからです。こんな私にお時間割いて下さったことが、感激でした。

 

 

 うれしすぎて、子どもようにの舞い上がっています。

 この興奮がおさまったら、ファンレター第二便を投函したいと思っています。 

 今度こそ、ファンクラブ設立を提案したいというのは、気が引けますが、本当の気持ちです。

 明治時代の人々の奮闘があったから、今がある。その上に乗っかってるだけでは、次の世代に申し訳ない。せめて語り継ごうよ。

 そんな、語り部の会が私の夢です。

『シルクロード』のテーマ

 

 今週の『らんまん』のテーマは「シロツメグサ」です。みんなが摘んだことのある身近な草です。蓮華とシロツメグサで作った花輪は、楽しかった幼い頃を呼び起こしてくれます。

 近頃、この白い花が広々とした場所に咲いているのを見かけなくなって、さびしいことです。もう、花のなかに腰を下ろすこともないのでしょうか。

 

 さて、今日のお題は「セントウソウ(仙洞草)」でした。日本固有種といいますから、牧野博士の命名でしょうが、その意味は不明だとか。

 この花を別名「オウレンダマシ」というのは、黄蓮と同じく春先に薄暗い林の中に咲くから、気をつけないと春の妖精に騙されるよという意味合いでしょうか。

 いずれにしても、植物の個性を鑑定しながら歩き回った博士の植物愛が感じられます。

 

 

 「オウレン」は、正倉院薬物にすでに見られる薬草です。

 正倉院の収蔵品は、正確には、「黒黄連(胡黄蓮)」です。今から1200年の昔、ヒマラヤの海抜3500m以上の場所に生えていた植物です、といわれても、そうなんだと、軽く受け流すわけにはまいりません。

 高い雪山に分け入って、まず見つけることが至難で、そこから、海を渡って日本に送られてくるまでに紛失したり腐ったり。

 保存法も輸送手段も限られていたことを思うだけで、その長旅にロマンを感じます。

 ちなみに、「黒黄蓮」が貴重だったから、民間薬「センブリ」が開発されたといわれています。

 胃痛が現代人だけのものではなく、古代の人も悩まされていたということです。

 つまり、悩み事はいつの時代も変わらずにあるということが、正倉院御物から推測されるとは興味深いことです。

 

 その「黒黄連」を求めて、天山山脈に赴き、すっかり虜になったお話を集めた本が『天山山脈薬草紀行』(難波恒雄・池上正治著)です。

 

 

 この帯にある「シルクロード」という言葉。

 昔、NHKシルクロード』を見てたころは子どもでしたから、喜多郎さんのテーマ音楽だけを聴いていた気がします。

 もういちど観たくて探したら、ありがたいことに、YouTubeで配信されていました。

 今更ながら、いい番組です。石坂浩二さんのナレーションが、落ち着いた雰囲気作りに一役かっています。

 アジアの屋根と呼ばれる天山山脈を囲む草原に住む人々の多くは、今、話題になっているウイグル人です。

 こんなところに生活している人たちだっんたんですね。

 彼らの多くがイスラム教徒であることも、遊牧生活をしている民であることも、初めて知りました。

 

 

 本の方は、「雪蓮花」という美しい名前に惹かれて、この花の写真が出てくるページをまず繰ってしまいました。

 3500m~5000mの雪山の中で、咲くこと自体に生命力を感じないではおれません。

 果たして、滋養強壮の効能は朝鮮人参をはるかに超えるとか。たっぷりした花の持ついのちが、見た目通りに豊かであることに、研究者でなくとも魅せられることです。

 

 しばらくは、天山山脈のビデオを観ながら、かの地に思いを馳せたいと思っています。

 そうそう、砂漠の中のオアシスで山のように積んで売っているのが「ハミウリ」です。

 甘くて水分たっぷりのスイカの原種です。

 今日みたいに暑い日には、おやつにぴったりの西瓜(西域の瓜)です。

しあわせの根っこ

 

 今朝の『朝晴れエッセー』。

 私と一緒だ!と、にんまりさせてもらいました。

 題名に「母の歌」とあるように、母が勝手に作詞作曲したでたらめな歌を、何度も何度も抱っこした子どもに歌い聞かせるというお話です。

 私も「かわいい~ちゃん、かわいいなぁ。ちゅんちゅちゅんぷんぷぷんかわいいなぁ♪」と我が子にも、孫にも、繰り返し繰り返し歌ったものです。

 思わず、語りかけずにはいられない気持ち。

 同じことをされているお母様がおられると聞いて、うれしくなりました。

 

 

 ところで、昨夜、浅田次郎さん原作の『おもかげ』を、眠い目をこすりながら拝見しました。

 主人公はどうしても知りたいことがありました。

 それを、人生の最期となるかもしれない場面で解き明かすというドラマでした。

 母の顔さえ知らず、捨てられた過去。それでも、心の中で、母を追い求める自分がいます。

 生死の境で見せられた走馬燈で、母が息子の自分を生かすために捨てたことを知ります。

 僕は愛されていた。

 そのことが、彼に大きな自信と安堵を与えます。

 人は、誰でも、愛されている確証がほしいことを、浅田次郎さんは書かれたのでしょう。

 

 

 どこかの人気政治家が、「同調圧力に屈しない方法は、持論を持つこと。」と、書いておられました。

 我を張る彼らしい処世術です。

 しかし、彼の言動が受け入れがたいものに思えて仕方ないのは私だけでしょうか。

 どうしてこんな考え方に至ったのかと考察するとき、やはり、子ども時代の愛情のかけられ方になにか問題があったのではないかと勘ぐってしまうのです。

 

 

 「うちの子はふつうに育てばいいんです」と、言ったお母さんに、「お母さん、ふつうの子が難しいんですよ」と、先生が応えたというほどに、子育ては一筋縄ではまいりません。

 しかも、子育ての答えは、その子が年を重ねれば重ねるほど、隠せないものとなってきます。ふつうに育てられたかどうかがポイントではないでしょうか。

 ふつうに育てるとは。

 大人になったときに、がんばってくれたんやな~と気がつくことなのかもしれません。そして、その感謝が謙虚さを伴うものであれば云うことなしです。