こころあそびの記

日常に小さな感動を

大暑

 

 今日は二十四節気大暑」です。

 一年中で最も暑い時期という名前どおりに草木も萎える暑さです。

 しかし、半月後に「立秋」がやってくることを思えば、その響きだけで先への希望が持てるというものです。

 秋になったら、これもしよう、あれもしようと計画を始めるのも、この頃なのかもしれません。

 というのは、とある旅行パンフレットが届いたのでパラパラと捲って、気になるものがあったので電話をかけてみました。

 なんと!すべて満席でした。

 世の中の早い動きに取り残された侘しさを味わってしまったことです。

 気を取り直して、秋は紀勢本線に乗るぞ!とばかりパーソナルツアーを組み立てるつもりです。

 

 

 一人では行けないところなら、団体旅行で連れて行ってもらうのもありだと思うのですが、そうでなければ一人旅派です。

 電車の時間も気にせず、気の向くままに予定変更して、見たいものを見に行く。それは、一人旅の醍醐味ではないでしょうか。

 ただ一つのハードルは、女性一人を泊めてくれる宿が少ないことです。

 インバウンドが増えてきて、そんな需要に徐々に対応できるようになれば、うれしい限りです。

 

 

 紀行文の最高峰は『奥の細道』に尽きます。

 芭蕉は、この文章を自分の集大成と考えて、漢文から和歌集まで持てるものをすべて結集させ、推敲に推敲を重ねて書き上げたといわれています。

 そして、その意思は時代を問わず多くの人に愛され、年を取れば取るほど、惹かれる理由が明白になってくるところが魅力です。

 父も最後は芭蕉でした。俳句のハの字にも縁がなかった人でも、その精神には心酔できたようです。

 「造化に従い四時を友とする」

 大自然と小我の融合です。私たちは自然の一員として生かされ、大自然に同化している。それを実感するために旅立ち、著したのが「奥の細道」です。

 

 

 このことは、日常生活の中でも、心を研ぎ澄ましておれば、感じることが可能です。

 しかし、旅中に受ける刺激は、かなり印象深く残ります。

 芭蕉の場合は、歌まくらを辿りながら、古人の足跡に涙してばかりの旅です。これは、ものを知った人だけが味わえる感動。

 ものを知らない素人は、『奥の細道』の解説本をぺらぺらめくりながら、「片雲の風にさそはれて、漂泊の思いやまず」の心境で、秋を待つばかりです。

 

 今宵は満月です。

 この月をアメリカインディアンの農暦で、「Buck moon」(バックムーン)と呼んだのは、牡鹿の角の生え替わる時期だからだとか。

 自然と生活が常に隣り合っていたことが分かります。

 

 夕立のない猛烈な暑さで、家庭菜園の収穫が止まり、なんとか耐えて三年目に入ったブドウの苗木も萎れています。

 元気なのは、雑草だけ。

 朝のうちに、少しだけ庭仕事をして、バラの枝に纏わりついたヘクソカズラを取り除いてやりました。

 

 

 こんな暑さですから、家の中でおとなしく過ごすしかなくて。

 こないだ、YouTubeで私と同い年の女性がベートーベンの「テンペスト」を弾いておられました。

 その後、なぜかその旋律が頭から離れなくなって、無用の長物とわかっていながら、ピアノピースを取り寄せて、いろんな方の演奏を聴きながら楽譜を眺めています。

 

 

 以前にもか何度かお話したように、小学生の頃、下敷きに黒のマジックインキで「苦しみの中から喜びが生まれる」と書いていた私です。

 ピアノを弾くことより、ベートーベンが苦難の中で生きる姿を想像することが自分の励みだったように思います。

 そして、その悩みもいつか過ぎ去ることを、心に強くイメージすることにベートーベンが一役かってくれていた。なんて子どもらしさの欠片もない子どもでした。

 

 

 ピアノ初心者が最初に出会う大作曲家はベートーベンではないでしょうか。

 中学生のとき、一学年上の先輩に憧れたことがありました。彼女はピアノが得意でしたから、ベートーベンのピアノソナタ「田園」の楽譜を見ながらピアノ談義をしたこともありました。

 そんな彼女に憧れて、私もベートーベン好きでした。

 ただし、私がベートーベンに憧れるのは彼の残した音楽というより、名言です。

 「神がもし世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かう」

というのもあります。

 この言葉を誰よりも体現しているのは、間違いなく辻井伸行さんです。

 ベートーベンという存在が彼にどれほどの励ましを与えていることか。偉大なる先人よ、彼を導き給え。

 

 あらためて、辻井伸行さんの「テンペスト」の演奏を聴いて、凄さが胸に迫りました。

 たかが鍵盤、されど鍵盤。

 「神聖に近づきその輝きを人類の上に撒き散らすほど美しいことはない」

 彼のお役目は、確実にベートーベンと繋がっています。

 今宵は目を瞑って、彼の「月光」を聴くことにします。

花梨の会

 

 昨日、3ヶ月ぶりに加藤康子さんからお便りが届きました。

 私が書いた「テレビの前で拍手してます」という言葉を引いて、「うれしいです」と認めてありました。

 それで、またうれしくなって、朝から加藤康子さんの出演されているYouTubeを見てしまいました。

 私、加藤さんのどこが好きなんだろうとよくよく考えたら、それが、お顔であることに気づきました。

 丸いお顔全体から発せられるパワー。どこかで見たことあると思えば、それは母でした。

 言うまでもなく、加藤康子さんとうちの母では、出来は月とスッポンです。

 なのに、どこかパワーが似ているんです。

 人が人に惹かれるのは、いつかどこかで会ったことある面影に大いに関与しているのかもしれないと思ったりします。

 

 

 今日は「花梨の会」の前期打ち上げで、お食事会を計画しました。

 長らく欠席だったMさんが参加くださるというので、一同、待ちに待ったパーティーです。

 中でも、楽しみにしてくださっていたのが、常連のKさんです。

 久しぶりの再会で万感の思いが溢れたことは、お二人の固い握手と笑顔でわかりました。その思いを察して、もらい泣きしそうになったほどでした。

 

 

 そもそものお二人の出会いは、KさんがMさんのお宅あたりを散策されていた時に始まったようです。

 Kさんのお庭に並んだ植物の名前を、「それは、何ですか?」と外から尋ねたのがきっかけとか。

 その質問に答えるばかりか、「どうぞ入ってください」と招き入れたMさん。

 ついには、おうちの中まで入って意気投合されたそうです。

 見たこともない、どこのだれとも知らない人と、会ったその日にお友達になれるでしょうか?

 

 

 確かにお二人には植物愛好家という共通点があります。でも、それだけでは、こんな付き合いは始まらないと思うのです。

 その時思ったのです。彼らのお顔に秘密があると。

 お二人とも、美しいのです。

 邪気がないのです。

 つまり、二人は過去には同じグループの人だったと推測がつきます。

 この世で親しくできるのは、懐かしさを感じる人だからといわれます。

 これといった理由もないのに、好きでおれるのは、過去の記憶に残っているからです。

 KさんとMさんの交友は、まさにその見本のように感じます。

 90歳のKさん。75歳のMさん。

 お二人の交流が、それぞれを元気づけるものであってほしいと願っています。

夏雲

 

 朝から熱暑。歩こうか止めにしようか、逡巡の時間が過ぎていきます。

 やっぱり、こういう時こそ出かけるべきと決心して、図書館まで歩くことにしました。

 年寄りは身体を常にアイドリング状態にしておかねばなりません。一旦、エンジンを切ってガレージに入ってしまうと、動けなくなる。これは若い人にはわからない老いの現実です。

 

 

 ひまわりもお日さまに向けなくて、暑いよ~って。

 

 

 ナンキンハゼの実が膨らんできました。

 

 

 フヨウが咲いていました。

 

 

 去年は茂っていたのに、きれいに抜かれて、これだけしか生えてなかったスベリヒユ

 

 

 シオカラトンボは水色だけど、この子は鮮やかな黄色です。

 しばらくの間、私のお供をしてくれた人懐こいオオシオカラトンボ

 

 

 千里川沿いの木陰をたどりながら、なんとか図書館まで歩き通せたのですが、その間に、何人かのランナーとすれ違ったことは驚きでした。

 

 

 夏は雲。

 本を読まない子どもでしたので、そんなことも知らずに高校生になりました。

 書道の授業で「雲の峰」と書いて初めて、夏の入道雲が作る峰を意識するようになったとは、お粗末なことです。

 

 あしひきの山川の瀬の鳴るなへに

 弓月が岳に雲立ちわたる

             人麻呂

 雲が湧いてくる様子を「雲立ちわたる」と表現した古代人の感覚に共感できるのが夏です。

 

 夏の旅といえば、芭蕉は旧暦6月の暑さの最盛期に奥の細道の佳境である山寺から出羽三山へ赴いています。

 

 雲の峰幾つ崩れて月の山

 

 

 散歩の道中、いくつかお地蔵さんが祀られているのですが、どれもだれかがお世話されています。

 そんなお役を受け持つということは、雲の上のどなたかの命でありましょう。

 

 帰りはバスで戻りました。

 あるバス停で老女が一人、暑さの中へたりこんでお待ちでした。当然のことながら、バスが来たからと俊敏に動けるわけはなし。もたもたされているのを見た男性が彼女の手押し車をさっと載せて、更には彼女が座るまで「ウンチャン待ってや!」と運転手さんに声かけまでされたのです。

 その彼の外見といったら、ランニングシャツに下駄履き、手には缶コーヒー。人はみんな優しさを持っている。なのにどうして、世界中、戦争だらけなのかと思ってしまいました。

 

 家から出ること。それが、五感を刺激します。

 どんなに暑くても一歩外へ出れば、ささやかでも何かと出会い、何かを感じることができる。そういうふうに生かしていただきたいと願っています。

ひろつぐ公

 

 聞こえてくる蝉の鳴き声に力がこもってきました。これは梅雨明けのしるしとばかり見上げた青空は、それを確信させるものでした。

 羽をバタバタさせている蝉が、雀に咥えられて絶命していくところを見てしまいました。

 こんな自然界の厳しさを思うと、少なくとも食べることに事欠かない人間に生まれたことをありがたく感じたことでした。

 

 

 昨夕見つけお月さま。長らくお目にかかれなかった月ですから、雲間に浮かび上がる月がことのほか美しく見えました。

 今宵月は月齢11.7の十三夜です。

 

 

 先日の奈良旅の続きです。

 写真館と新薬師寺の間に、「鏡神社」があります。

 創祀は、遣唐使派遣の祈祷所たりし当地に806年新薬師寺鎮守として奉祀せられたといいます。

 興味深く思えるのは、由緒です。

 

 

 「桜花を娘子に贈りて

 この花の一瓣のうちに 百種(ももくさ)の 言ぞ籠れる おほろかにすな

            藤原広嗣 

      万葉集巻八 一四五六」

 

 広嗣は藤原不比等から数えて九代あとに生きた貴族で、聖武天皇のいとこでもありました。

 由緒には異能の人と書いてあるくらい図抜けた才能の持ち主だった彼ですから、詠んだ歌はいっぱいあったでしょうに、万葉集にはこの歌一つしか選ばれていません。

 

 

 歌の内容は、桜花を娘に贈る際のこととはいえ、その娘だけでなく、勝手ながら、広く人々に教えを伝えようとしているようにも取れます。

 そう思えば、この優作から、広嗣という人が純真新率であったことを察することができます。

 真面目だったから、不正を見て見ぬふりできなくて乱を起こしてしまった。そのことが、後の世の人に変人扱いで伝わることになりました。

 それでも、たった一つ生き残った歌によって、その人物像を好ましく捉える人が一人でもいたら、生きた甲斐があったというものではないでしょうか。

 鏡神社の絵馬掛けに書かれたみんなの願い事の素直な言葉に、私は藤原広嗣の心は生きていると感じた次第です。

草抜き

 

 この暑さの中、お熱い二人を発見!

 トンボが二匹戯れていました。車のドアに止まっている子に、もう一匹が猛烈アタック中です。窓にツンツンと音を立ててぶち当たるほどの興奮ぶり。いったい何をしていたのでしょう?

 

 

 庭の雑草が蔓延って見苦しいことになってきました。

 我慢してたら、そのうち枯れるものですが、枯れたら枯れたで倒れた草を起こして刈るのもえらいことなんです。

 そこで、一念発起。といってもほんの畳一枚分ほど刈ったところで、根をあげてしまいました。

 やれやれ、これから何日、格闘が続くことやら。

 

 

 シャワーしてから、ちょうど、仕事が休みだった娘をお茶に誘い出しました。

 「コナコーヒーに行く?」

 「そういえば、そのあたりに鰻屋もできてたよ」

 車を走らせていたら確かに鰻屋さんの旗が見えて、「うな富」と書いてありました。

 その名前つながりで思い出したのは、「川富」でした。子どものころよく通ったその鰻屋は千日前にありました。

 鰻丼と鰻巻きに、子どものくせに必ず肝吸いと鮒のあらいを頼んでいましたっけ。親の心子知らずの平和な時間でした。あの千日前ビルの火災さえなければ、その楽しい時が続いたのでしょうか。

 

 

 さて、お茶するはずが、山本の”梅の花“に行き着いてしまいました。

 こんな山の上に店があるだけで、びっくりした娘。そして、その驚きを上書きしたのはお客の多さです。

 女の人をよろこばせる営業努力に感心しつつトイレに入ったら、これまたびっくり!古いベルばらのポスターだらけでした。

 鳳蘭安奈淳や麻美れい。

 宝塚を観劇する方が二回目の公演前にお食事される隠れたお食事どころがこんなところにあっただなんて。

 思わぬ発見をして楽しいことでした。

 

 

 お腹がいっぱいになったので、運動がてら、また草抜きです。

 それにしても暑い!

 子どものころは夏休みの仕事は草抜きでしたから、しんどさよりも、懐かしい気持ちで作業しています。

まなこくもるとも・・

 

 珊瑚樹の実が真っ赤で、曇天のもと存在感を放っています。

 

 

 高畑町という所は風情のある町です。父が存命のころ、年賀状の宛名書きの代筆をしていたことがあります。

 その中に”高畑町”に住まわれている方があって、どんなところだろうと思ったりしていましたが、その後訪れる機会があって、すっかり魅せられてしまいました。

 小川さえ流れておれば、京都の白川にも匹敵しそうな趣とは言いすぎでしょうか。

 

 

 さて、入江泰吉写真館を後にして、新薬師寺へ到着。

 747年、聖武天皇の病気平癒を祈願して、お后の光明皇后によって創建されたお寺です。当時は、東大寺並ぶ大きさを誇ったといいます。

 ちなみに、この寺の名前についた冠の「新」は、新しいという意味ではなくて、あらたかな薬師如来像を七体も蔵した祈りの寺ということで、今でも、薬師悔過(やくしけか)が行われています。

 

 

 最後に来てから、かれこれ十年は経っています。

 久しぶりにお目にかかった薬師如来像は、あのころと同じようにように壮健でいらっしゃいました。

 こちらから悩みを訴えようとして見る仏は、自分とは次元が違う遠い所におられるように見えるもの。ですが、この年まで元気にいかしていただいたと思って拝めば、そうかそうかと降りてきてくださるように思えます。

 ここでも、年を取ることのありがたさをしみじみ感じたことでした。

 

 

 本堂の入り口に佇む歌碑が会津八一の詠んだものです。

 

 ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬ さびしさ

 

 この歌で彼が仰ぎ見たのは、ご本尊薬師如来像ではなくて、香薬師像でした。そんなこととは知らずに、堂内の十二神将を見て回って、多くの写真家の心を奪う伐折羅大将を見終わり、ホッとして置いてあった椅子に腰掛けました。

 と、そこにある小さな囲いが目に入り、中を覗いてみたら、そこにおられたのが、香薬師像のレプリカでした。

 このお像は、もと、聖武天皇光明皇后の御念持仏だったそうですが、なぜか三回も盗難にあっています。

 八一が詠んだのは、実像だったようですが、三回の盗難の後、今も行方不明のお像です。

 

 

 昭和17年に歌碑が建立された知らせを聞いて八一が詠んだ歌があります。

 

 みほとけは いまも いまさば わがために まなこ すがしく まもらせたまえ

 

 この歌から、会津八一は眼病を患っていたことがわかります。新薬師寺薬師如来は目を守ってくださる仏だったのです。だから、相対すると眼光が迫ってくるのですね。

 

 もう一つ、好きな歌を上げておきます。

 

 たのめりし ふたつのまなこ くもるとも こころ さやけく すみわたりなむ

 

 たとえからだに衰えがあっても、こころさやかにありたいものです。