こころあそびの記

日常に小さな感動を

種をまく人

 

 からっとした空気に降り注ぐ太陽の光。

 百パーセントの人が、「気持ちいい」恩恵を受けられる朝でした。

 ところで、ついに、『ブラッサム』の珠さまの作文が披露されましたね。

 褒められるという経験は、誰でもうれしいにはちがいないのですが、特別うれしいのは、自分が怖いと思っている相手から褒められることだと思います。

 放蕩無頼だと思って恐れていた父からかけられた褒め言葉の中に、父親らしいぬくもりを感じたことを彼女は決して忘れないことでしょう。

 そして、この出来事は後々まで彼女の脳裏に染み付いて、思い出すたびにあたたかな気持ちになったはずです。

 宇野千代さんの「生きていく」原点はお父様だったのですね。

 

 

 きのう、織の店のワークショップに入ってきました。前々から、一度やってみたかった裂織です。

 といっても、縦糸は張ってくださってましたから、横糸をくぐらせるだけの小一時間ほどの作業でした。

 作品つくりはさておき、私のほんとうのお目当ては、この店ができたときから気になっていた創始者の牧喜代子さんにお目にかかることでした。

 このワークショップも牧先生が指導下さるということで参加したわけです。

 

 

 思っていた通り、八十半ばとは思えない朗らかな方でした。

 阪神間では有名な女子高から京芸に進まれた経歴からは、やる気満々のお嬢様だったことが分かります。

 せっかくお目にかかれたのだから、ここは訊いてみようと、つい、つまらぬことを口走ってしまいました。

 「私、色が大好きでしたが、縁がなくて・・・孫が手仕事を好んでいるのを見ると、どんな進路があるんだろうと思ってしまいます」

 「ほっておきなさい。自由にさせてあげなさい」

 先生は、どうしても絵が描きたくて、親に大反対されても突き進んで、芸大に進まれたとか。

 そんな方に、ほんと、不用意な質問をしたものです。

 ほんとうにやりたいことが見つかれば、人はどんな努力も惜しまないという、この先生の考え方に大賛成。

 自由に生きてこそ、ほんとうの自分と向き合えう時間が持てるような気がしています。

 

 

 珠さまに、かけがいのない種をくれたのは、怖い怖いお父様でした。

 心の奥深くに撒かれた種だから、いつでも取り出して確認できる宝物になりました。

 こういう人生好きだなぁ。

 楽しみです。

放たれて

 

 「なかなか やまない あめでした~♪」と、かわいい恨み節を歌いたくなる雨続きの日も、やっと終わり、早朝の空には薄雲が流れる間から残月が見えました。

 

 

 青空。待ち望んだ日本晴れ。それだけのことで、どれだけの人が心身の健やかさを取り戻すことか。天人相応。そして私もその一人。

 でもね。復活した元気の理由は、もう一つあります。

 今週から始まった『ブラッサム』です。

 加賀まりこさんに元気をもらい、YOASOBIのテーマソング「咲き誇れ」に心躍らされています。

 婆さんは感心しているのです。

 こんな小さな国のなかから、次々と芽生える才能に。

 主題歌を任せられたグループは数あれど、今回もまたすごい実力を世界に見せつけているお二人だとか。

 アップテンポの曲に合わせて舞い踊る石橋さんの笑顔に元気をもらえる朝のスタートです。

 

 

 今朝は、「父」という題で作文の宿題が出たシーンでした。

 今は、こういうテーマの宿題は憚られるのでしょうが、昔の先生は平気でした。

 かえって、各家庭の事情を察して指導するための好材料だったのかもしれません。

 珠ちゃんは躊躇してましたね。それでも、書き上げた作品がどんなだったか。明日がたのしみです。

 複雑な家庭事情があれば、子どもといえども書けない、書きたくないと思うもの。

 少なくとも私はそうでした。

 恥ずべきことを曝したりしたら、あとで母にどんなに叱られるか。怖くて本当に自分の書きたいことは伏せていたように思います。

 

 

 宇野千代さんが後に書きたくて書きたくてたまらなくなったのは、生来、天真爛漫に生まれついたことに加えて、幼少時の辛抱がバネになったと推測します。

 押さえつけられたから、放たれた環境で自由に咲き誇れた。

 ジャンプするために与えられた環境が準備された人生だったのではないでしょうか。

 そんな実在の人物が描かれる半年を楽しみにしています。

会えない人々に導かれ

 

 この広い世間で、たまたま出会った人と、その後再会することもないのに連絡しあえるのも、文明の利器のおかげでしょうか。

 その女性とは、三年ほど前に春日大社の参道で会いました。

 名古屋の人でした。

 「春日荷茶屋」の幟に興味を示されて、ご一緒にどう?と誘われてしまいました。名物のお粥をいただきながら、なにをしゃべったのでしょう。

 その後、彼女は春日大社へ、私は万葉植物園へとお別れしました。

 たったそれだけ。

 ですが、ごくたまに送って下さるラインの画像は見たこともない植物が多く、私がなにを欲しているかお分かりくださっているようで、貴重なご縁だと思っています。

 その彼女が昨晩は、珍しく来阪のご報告。

 百舌古墳群や中之島を巡ったが、大阪もなかなかのものとお褒めてくださったことはうれしいことでした。

 

 

 ところで、雨天ゆえにすることもなく録画を見ていましたら、いいもの見つけ!

 それは、BS『映像詩~千年続く祈りの風景~』というものでした。

 自然を撮る写真家、今森光彦さんの作品が動いている感じでした。

 映像作家という仕事がこの世の中にあることさえ知らなかったのですが、この保山耕一さんの静かな映像に大いに惹かれるものがありました。

 そして、はっとしたのは音でした。

 これは川上ミネさんではなかろうか、と体が感じた通り正解でした。彼女の音は静けさと相性がいいんです。

 金峯山寺の蔵王堂まえのコンサート。行きたかったけど、夜でしたもんね。

 でもそれくらいの静寂が、彼女の奏でる音にちょうど合うんです。

 

 

 そして、川上ミネさんのピアノに違和感なく乗る音色がありました。

 これは何?と調べたら、真砂秀朗さんのネイティブフルートという楽器でした。

 アメリカ先住民が奏でたといわれる笛の、ちょっと太めな音に懐かしさと癒やしがありました。

 しかし、今、篠笛に出会ったばかりの私ですから、また、その指導をしてあげようという方にも出会ってしまった私ですから、浮気はできません。

 が、それくらい心そそられる音でした。

 外に出かけて行かなくても出会いがあるとは、ありがたいことです。しかも、そのすべてが自分好みなわけで、好きなことだけ集めて生きるというmy wayにぴったりです。

「自分の中に流れるspiritに気づくこと」と仰る真砂秀朗さんの言葉は、雨音の中で自分の扉をやさしく叩いてくれました。

残念

 

 降ったり止んだり、降ったとしても傘さすほどでもなかったり。

 雨雲レーダーもあてにならない今日の空模様でした。

 

 

 NHK合唱コンクールの課題曲「花へ、」が反田恭平さん作詞作曲であることに興味をもちました。

「まだ名もなき小さなちいさな花へ・・」という最後の言葉は、三歳になられたお子さまへのエールにも思えて、すでに大きな花を咲かせたパパからのプレゼントに思えました。

 この歌は先に曲ができてから、詩をのせたそうです。

 子育てパパからのアドバイスは一つだけ。こたえのない問いがあなたを悩ましていくかもしれないけれど、自分なりに迷ったり泣いたりして探しておくれ。誰のためでもない自分のために。

 

 

 静かなメロディーでしたから、参加校のみんなはたくさん話し合われたことでしょう。

 美しい旋律と純粋な歌詞。

 このコラボを完成させて入賞されたみなさまおめでとうございます。

 

 

 一転しますが、さっき、仕事から帰る途中で、倉本聰さんの訃報が流れて驚きました。先日、図書館で何気なく手に取って、読んでいたところでした。

 『北の国から』は子育て中だったので、のめり込んで観る機会を逸したのですが、さださんのあの曲が聞こえるたびに、北海道の大地が目の前に広がるように思えたものです。

 というか、さだまさしさんを押しも押されぬ大作曲家として認知させた曲でした。

 私は、『風のガーデン』が押しです。

 これもまた、平原綾香さんのため息のようなノクターンに、そそられます。

 倉本聰さんはドラマの制作現場に、ほとんどご自身で立ち会われたとか。

 シナリオだけ渡せば、それでお仕舞い。という方ではなかったそうです。自分の想う雰囲気を、壊されたくなかったという頑固さをお持ちだったように拝察します。

 返す返すも惜しいことした、と思うのは富良野の風のガーデンにご存命のうちに行けなかったことです。

 まだ、大丈夫、まだ大丈夫。そう思っていました。

 それは、つい先頃も、ドラマ制作に関わっておられるという風の便りが聞こえていたからです。

 

 

 彼のシナリオ作りは細部に至るまで、たとえば、登場人物の生活している町の地図まで書かれるそうです。

 そうしないと、その人の生活の様子が見えてこないから。

 レベチですが、架空の町の地図を書く。この作業は、結構、楽しいものに違いありません。たとえば、子どものころ遊んだ、おばあちゃんの家とか。懐かしい記憶が甦って元気になれそうです。

 それにしても、あ~ぁ、もう富良野に倉本聰さんという磁石がなくなってしまったのですね。

 道央の楽しみは風のガーデンだったのに、遠くとおくなってしまったことが残念でなりません。

明朝の楽しみ

 

 雨の降らないうちにと、千里中央公園にいってきました。みんな同じことを考えてか、開場間もない駐車場は大賑わい。なんとか最後の一台に滑り込みセーフ。

 

 

 盗人萩は苦手ですが、これは美しいマルバハギです。枝垂れた枝に咲く小花の色も形も好ましい花です。

 

 

 ササゲの実が多数垂れ下がって、すでに鞘が割れて中身の種が飛び散ってしまったものもありました。

 時を知る。誰に教わるでもなく。

 

 

 明日から朝の連続ドラマが『ブラッサム』に模様替えです。

 さっき、NHKでご存命中の宇野千代さんの映像が放送されていました。誰見てるんやと叱られそうですけど、山本陽子さん、きれいでしたね。

 冒頭はきっと錦帯橋からスタートするような気がします。岩国自慢といえば錦帯橋ですもんね。

 この春、下瀬美術館に行った折に、隣が岩国駅と知り、時刻表とにらめっこしながら橋を渡り、岩国城の天守閣まで上った日帰り旅行。

 ものを知らない私ですから、そこが宇野千代さんの出身地と知りませんでした。ただ、喫茶店の店頭に宇野千代の云々と書いてあるのを見て、ひょっとすると、くらいに思って帰ってきました。

 ですから、今回、まだ色褪せていない印象の町が、そのまま映し出されることが楽しみでなりません。

 

 

 もう一つ楽しみなことがあります。

 それは、主演される石橋静河さんです。国仲涼子さんと入れ替わった方がいいんじゃないの、というくらい大きなカツラをつけさせられている彼女。

 実は、原田美枝子さんのお嬢さまです。だから、すごく期待しているんです。

 1998年公開の映画、『愛を乞うひと』は、彼女が主演でなければ、あれほどに評価されたでしょうか。

 それまで、石橋凌さんと結婚されたという週刊誌の見出しくらいしか存じ上げなかった原田さん。その彼女の実力がいかんなく発揮された映画に感動の涙が止まらなかったことを覚えています。

 そんなご両親から受け継いだ感性をもった静河さんなら、宇野さんの破天荒な生き様を描ききってくださるはずと楽しみにしています。

 宇野千代ショーでご本人がおっしゃった言葉、「みなさんにはヘンな女に見えるかもしれませんけど、私は自分が好きなことでなければしなかった」。

 そう、好きなことをし続けたから九十八歳まで生きられたのです。

 自由に好きなことをいたしましょう。のびのびした静河さんの演技に学びたいと思っています。

曇天だって

 

 きのうは中秋の名月を期待しましたが、夜遅くなるにつれて雲が厚くなり、ついにお目にかかれませんでした。

 来月の十三夜、「後の月」は10/23です。

 どうか、片方だけでも見られますように。

 

 

 というわけで、今日、大形先生の勉強会の昼食後に、お店の人のサービスで「月餅」が提供されました。

 月餅は中国の「中秋節(旧暦8/15)」に食べられるお菓子です。円くて平たくて、お月様を象ってあるのでしょう。

 参加者の中のお年寄りが、新宿中村屋の月餅を覚えておられました。私たちの若かった頃はこれが月餅だと思っていたものです。ただ、高カロリーだったので、娘時代には手が伸びませんでしたが。

 

 

 帰り道は、ちょっとした出来心で天満橋でバスを降りて、「永田屋」に寄ってみました。

 晩年の母は、こちらの看板商品であるでんぶをまぶした「黒潮」で、よくお茶漬けしていました。

 大阪には、それこそ山崎豊子さんの小倉屋をはじめとして、昆布屋さんはたくさんあるのですが、最後の味ということで思い入れがあります。

 この前の道を渡って大川に出ると、八軒家の渡し場がありまして、店名は「八軒家跡」にある本店となっています。

 

 

 店の前にある銘板には、このあたりの歴史がすべて盛り込まれていました。

 それもそのはず、これを書かれたのは、大阪の郷土史家、牧村史陽(1898~1979)でした。

 当時盛んだった熊野詣の旅人の上陸地だったこと。

 大江山の鬼退治で有名な渡辺綱はこの土地を支配した摂津源氏を祖とすること。

 1953年公開の大映映画『地獄門』(菊池寛作『袈裟の良人』が原作)で一躍有名になった遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのもここ。

 それから、南北朝時代に楠正行がこの渡辺橋から落ちる敵兵を救い上げて国に帰してやったという美談もこちらであった話。

 というように、牧村さんの大阪愛がこの一枚に溢れていました。彼は、郷土史は足で書けが持論だったそうです。どれくらい歩きまわられたことかと頭が下がる思いがしました。

 

 

 しばらく青空は臨めないという予報。

 形ある雲はなく、空は一面の灰色。

 それでも、雲の上にある太陽のおかげで、今はお昼と分かります。

「 見えぬけれどもあるんだよ。

  見えぬものでもあるんだよ。 」

   (金子みすゞ「星とたんぽぽ」より)

善性

 

 今日の午後は青山大学歴史博物館で公開講座がありました。午前中、盆踊りの練習してからだったので、さすがにあの坂道は堪えました。

 それでも、参加したからこその収穫もあって、有意義な時間を過ごすことができました。

 

 

 私はいつも、お寺の扁額が読めなくて恥ずかしい思いをしているのですが、近頃は、そんな私をサポートするアプリが出てきています。

 友人に教えてもらったら直ぐにダウンロードしたらいいのに、実行していないのは、急を要しないからですよね。そこが暢気な素人の証拠です。

 昔は図書館に籠もって古文書から探し出すために膨大な時間を費やした学者さんですら、今や、パソコン一つで事済んでしまいます。時短そのもの。これから先はもっともっと進化していくことでしょう。

 しかし、書くという作業が減るというのはどうなのでしょう。

 昔の人の教養は、書き写しすることから始まったそうです。

 『古今和歌集』『伊勢物語』『源氏物語』なとは、基本中の基本だったとか。

 武将といえども、書写をしていたといいます。

 筆と紙の準備はできてるのに、一歩が踏み出せない自分と比べてしまって、ちょっとだけ刺激になりました。

 

 

 そして、細川幽斎は和歌の師範役で、古今伝授の継承者としてあの時代の教養を牽引したとか。

 すごい人だったことを教えてもらいました。

 どこかで、細川家は別格、と読んだ記憶があります。その意味が分かりました。

 

 

 信長も秀吉も家康も、社会を牽引するために生まれてきた理由があったことでしょう。それこそ、過去世の経験層が厚いことが想像できるところです。

 そんな庶民から遠い人でなくて、庶民の中に生まれた人にも素晴らしい性根を持った人が、今、話題の「武井壮さん」です。

 近頃、テレビを見て泣くことはなかった私ですが、あの「ファミリーヒストリー」は泣けました。

 SNSは感動のコメントに溢れていて、それを見てるだけでまた涙。

 経験が人を作るとしても、この世の経験は熟成するだけの時間がないのですから、そんなに簡単には生かせないと思うんです。

 だから、彼は過去の経験に基づく良質な心を、この世に持って生まれてきたものだと、私は思っています。

 人は善性であることを信じたいのです。