朝、本箱をずらっと見渡して、今日の気分に合う本を鞄に放り込んで出掛けます。
読みもしないのに、そんなことを繰り返すために、本が鞄から溢れそうになることもしばしば。重くて手に負えなくなったら、整理するという毎日を過ごしています。
今朝は、『柿の種』(寺田寅彦著、岩波文庫)を手に取りました。理系の視点というより深い洞察力をオブラートに包める表現力には恐れ入ります。頭のとろい私には、読んでしばらくして、やっと飲み込めるという文章です。そこが、魅力です。
昼休みにカバーを外して、馴染みある表紙を見ていましたら、あれっ?と気づいたことがありました。
岩波書店といえば、「種まく人」のマークではなかったかな、と。
なぜ、擦り込まれているのかというと、『広辞苑』です。小学校の卒業時に恩師から贈られた、そのデカい辞書は、私のコレクションの最古のもので、最高に貴重なものです。
その表紙の「種まく人」がこの出版社のイメージを固めてしまいました。
創業者の岩波茂雄氏の言葉「低く暮し 高く思う」は、イギリスの詩人、ワーズワースの詩の一節から取ったものだそうです。高邁な精神をもって日本を目覚めさせようとした姿に惹かれます。
そんな理由でランクづけするなんて愚かと分かっていても、岩波書店が一番と擦り込まれた好感度は消えないのです。
ですから、大好きな幸田文さんが岩波書店から全集を出されたときは流石と思いました。
その後、よくよく調べてみれば、創業から14年後に岩波文庫が創刊された時の二十何冊の中に『五重塔』(幸田露伴著)が含まれていたことから、親娘つながりなら当然と思った次第です。だからといって、幸田文さんの評価を下げはしない私です。
ところで、その岩波文庫のマークは何であったかというと”壺“でした。
表表紙は唐草模様、裏表紙は”壺“でした。
この装丁は平福百穂(1877~1933)が、正倉院御物の「鳥獣花背方鏡」の文様を模して図案化したものということです。
”種まく人“で文化が育つようにと願いを込めたように、”壺“からよき未来が立ち上ることを念じたのですね。
調べているうちに、もう一つ大発見をしてしまいました。
岩波文庫はご存知の通り、本の上部はアンカットです。昔から、本屋に整然と並ぶ岩波文庫群を見て、なんで真っ直ぐに切れてないのかな?埃がたまるやん、と考えていた自分が恥ずかしい。
あれは、フランス装風の洒落た雰囲気を出すためだったそうです。実用的にしか物を考えられなくて、これが寺田寅彦に追いつけないところです。
「なるべく心の忙しくない、ゆっくりとした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」
そう話しかける彼の心に添うように、秋の夜長を楽しみたいと思います。