こころあそびの記

日常に小さな感動を

私の巡礼

 テレビで、十一面観音を彫る東京芸大出身の若者を見ました。遠い未来の人々に拝んでもらえる仕事に誇りをもって励む姿が眩しいことでした。

 そんなことから、白州正子さんの『十一面観音巡礼』を久々に開いてみたくなりました。
 今よりずっと若かった頃には、書かれている内容についていけず、ただただ、なんと物知りでいらっしゃるのだろうとしか思えず挫折する事も度々でした。
 それでも、中身の濃さだけは解るので手元に置いてきました。
 通読というのは止めて、その日興味あるところを開くこという方式に変えました。
 今日は、なんとなく「登美の小河」という項に誘われました。
 付記されている地図で、法隆寺から富雄川を遡っていくと、クロンド池がありました。そうか、小学校のとき遠足で行った場所はここにあったのか。
 また、そのあたりの地名に”傍示“とあるのは、交野で働いていたとき散策した傍示川とはこのあたりから流れ出ていたことも、初めて知ることになりました。

 たかだか十数ページに盛り込まれている内容の濃さに、やっぱりね、とお会いしたことはないもののドキュメンタリー映像で拝見した白州正子さんに感謝でした。
 伯爵家筋にお生まれになった彼女だから身につけられた博学は、こうして後の私たちに確かに伝達されています。ありがとうございます。

 その数ページ目に、私を奮い立たせる箇所が出てきて更にびっくりする事になります。
 彼女は、「輪廻とは死後に起こることではなく、眼前の世界が、既にそういう風に私の目には映る」と書いておられるくらい、巡礼を重ねられた人生でした。
 その発端の一つが、法隆寺五重塔法起寺の三重塔と法輪寺の三重塔が並ぶ景色であったそうです。
 聖徳太子を仏教的に崇拝したのではなく、先祖崇拝のように当たり前に拝んだこの地の人々の安らかな日々を思い起こす場所だといいます。
 

 そして、法輪寺の三重塔です。
 創建は7世紀だそうですが、その後4回も再建されています。
 最後は昭和19年の落雷が原因で焼失して、昭和50年(1975年)に再建されました。
 火事のことは知らなかったのですか、再建現場のドキュメンタリー映像は見たことがあります。
 幸田文さんが深い思い入れで、近くに住み込んで再建を見守られていたのです。お父様の幸田露伴が『五重塔』を書かれているのですから、父娘の堅い絆の表れでありましょう。

 実は、私はずっと以前から幸田文さんのファンで、岩波書店から全集が出たとき毎月買いためたほどです。
 彼女がお父様に雑巾の絞り方から指導されている姿に、庶民でありながら母親の厳しい躾に喘いでいた私は共感をもったのです。他にも、厳格な生活が生む愉快な逃げ道にも同感しています。
 その大切な全集は、引っ越した時から、納戸に積んだままになっています。
 ええ加減、落ち着いたでしょ。読んでちょうだいよ、と言われた気がした再会です。
 こんなことあるんですよね。これが私の巡礼です。