こころあそびの記

日常に小さな感動を

喫茶店でコーヒーを飲みました

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 今朝の朝焼けは雲を曙色に染めあげることから始まりました。
 わずかな時を置いて、西の空に浮かぶ雲までうっすらと色づいてくれば、太陽も完全に上ってきた証、そして、間もなく東雲色は消えて、朝のショーは終わります。
 山に登って山頂からご来光を見られる人が羨ましいことは確かですが、自分の目の前に開陳される自然も負けないくらいに美しい。それを、探し当てたとき、巡り合ったときの小さな感動を大切に目の奥に記しておきたいと思っています。

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 西に浮かぶお月様を見ながら散歩に出かけました。

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 朝日を受けて色づく紅葉。

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 梧桐の木に枯れたような枝を発見!
 これが梧桐の実だそうで、拡大してよく見れば、小さな実がくっついています。木の上ばかり見ていました。次回は下を見て落ちた実を探してみましょう。

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 緊急事態宣言が解けて、人が動き出しました。上空の飛行機さえも今日は元気を取り戻したように飛んでいました。
 久しぶりに喫茶店に入ってホットコーヒーを飲みました。二年ぶりです。いや、もっとかな。
 カバンから寺田寅彦の『柿の種』を出して、カッコつけてみました。
 「棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑のよしあし」という蘊蓄ある巻頭の言葉で始まりました。
 そのたった数行で人生の味わい方を考えさせられます。
 そして、一題目。
 「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
 それが、初めから曇っている人がいる。
 この世界の塵で汚れて曇っている人もいる。
 このガラス板には小さな狭い穴が明いている。
 その穴をいろんな理由で通れない人がいる。太っていたり、興味がなかったりと。
 そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために通り抜けられるようになることはある。」
 
 寺田寅彦という人のセンスが好きです。柿の種をポリポリ気の向くままにつまむように、この本を開いてみてほしいと書いてありました。
 彼は文章がうまいだけではなく、読後にふむふむと何かを残してくれます。その余韻がまた心地よいものなのです。
 こういう文章もありました。
 「秋が来る前から前兆があるから、本当に秋が来たときの秋らしさが弱められるような気がする。たまには前触れなしの秋もおもしろいかもしれない。」

 皆様、突然の木枯らし一号と初冠雪の便り。
 どうか、お体冷やさないようご自愛ください。

 追記
 寺田寅彦さんの文章はそのままではありませんので悪しからず。こんな割愛の仕方してごめんなさい