こころあそびの記

日常に小さな感動を

悲しみの後始末

 ヘクソカヅラの思い出は、友人宅でのお絵描き教室。お勝手の出窓のところに置いた、大きな白磁の壺に生けてありました。
 センスとは豊かさだと教えられました。

 あれは、栗の木かなと近寄ってみたら小さいながらも個性的な形の実がなっていました。
 うれしくて、娘に写メールしたら「かわいいね、栗は葉っぱもいがいがなんだね」と、返信がありました。
 慌てて、よく見たら、栗の葉っぱではありません。
 クヌギでした!
 まだまだです。それにしても、かわいい実です。

 そのお隣は「マテバシイ」。しいの木は二年がかりで実をならせます。
 よく見ると、細い枝状のものが見えます。それが、今年の花、実は去年開花したものだそうです。

 公園で緑陰を作るのに適しているのが「シナサワグルミ」だそうです。
 なんとたくさんの実をぶら下げていることでしょう。
 長いものは40cmといいますから、この木陰で休めば、風にそよぐ実たちのお話が聞こえてきそうです。

 「イヌビワ」。花を外に向かっては咲かせないイチジクの仲間だとか。「豊中市婦人会館跡」の雑木林にありました。
 
 ところで、古代人の観察が現代の科学のベースになっていることは、驚くばかりですが、現代人の中にも、その観察眼を持った方々がおられます。
 言葉を操る方の物の見方が、自分を重い気持ちから救い出してくれるように感じて、『美しい日本の詩』(大岡信谷川俊太郎編)から詩歌を書き出しています。

 「 たちまちに君の姿を霧とざし
   ある楽章をわれは思ひき
    近藤芳美 」