こころあそびの記

日常に小さな感動を

力を抜くという境地

 耐寒訓練はありでも、耐暑訓練はしてはなりません。と、わかっていても、少々の負荷をかけて、毛穴から汗を発散させることは必要です。
 長尾先生が食後の散歩を推奨されているのを知って、梁平(リャンピン)先生がおっしゃっていたことを思い出しました。

 中国では、食後に胡同(フートン)に囲まれた四合院の中庭で過ごすと聞きます。
 日同じように、日本でも昔は玄関先に縁台を出して、涼むのが夏の風物詩でした。今や、見かけることはなくなって、同時にご近所付き合いは希薄になりました。
 「食べた後で横になったら牛になる」という言葉は、洗い物をさせる口実かと思っていましたが、食後に歩き回ることは理にかなっていたのですね。

 体の使い方は年齢に応じて変えていく必要があると云われますが、云われなくとも、体が変わってきたことを実感しています。
 でも、持ち札に力がなくなることは、一概に悪いとばかりはいえないことを感じるようにもなりました。
 精力が満ちておれば、少々の変化はカバーされて見逃すことさえありえます。ところが、年とってエネルギーが適度になることで、体の声が聞こえるようになることは、実はありがたいことです。
 残っている機能を存分に使うためには、さぼらせないことが大切です。

 それは、甲野善紀さんの「冷え性の人は素肌寝を」の項にも書いてありました。
 冷え性だから厚着したくなります。それを敢えて、どこも縛られていない裸状態にします。そうやって、体の保温機能を目覚めさせるのです。 
 皮膚にえらいこっちゃと思わせたら、熱を産出するように働くという原理です。
 体の持つ力を蔑ろにしないこと。それを信じることが最高の健康法です。
 溢れる情報に惑わされずに居ることが難しい現代だからこそ、こんな基本中の基本を忘れずにいたいものです。


 『老境との向き合い方』の著者である甲野善紀さんは古武術研究家です。
 私の好きなものの一つに武術があります。

 彼は合気道から出発されたとか。
 実は、私も挑戦したことがあるのです。
 母校の高校には、合気道の達人がおられました。早速入部しましたが、全身あざだらけになり、自分の体は、そのようにできていないことを思い知り、諦めた経緯があります。
 
 甲野さんのご本で「転倒から身を守る受け身」という項があります。
 生来、受け身の出来ない私はどうすればよいのでしょうか。
 「膝を抜く」こと。
 そこに、救いを見つけました。
 とっさの時は身体に緊張が走ります。それを脱力させる。それが、武道が教える極意です。
 阿部醒石先生は「小指とへそ」以外の力を抜いて書くことを教えて下さいました。 
 力を抜くこと。
 集中するとは自分を無くすること。
 憧れの境地です。