私が子どもたちを連れて行った三十年前は、竜馬像ははるかな高台で太平洋を見つめていました。
ところが、高知出身の植物学者である牧野富太郎をモデルにした『らんまん』の開始に合わせて、桂浜は美しく整備され、竜馬像まで階段で上れるようになったそうです。
その桂浜で、エイプリルフールに娘家族に起こった奇蹟を記します。
桂浜は太平洋と対峙できるところです。遮るもののない水平線を見つめていると、竜馬が飛び出していった心境を少しだけ感じることのできる場所です。
昨日の午後、今、桂浜に来ているといると娘からラインが入りました。
途端に、遙か彼方の太平洋から打ち寄せる波と時間を忘れて戯れた昔の記憶が蘇りました。孫たちもそんなふうに楽しんでいるとばかり思って、次の連絡を待っていたら、なんと、大騒動になっていたようです。
思った通り、波打ち際で遊んでいたのは良かったのですが、高校生の孫が寄せてきた波を避けきれずに尻餅をついて、その弾みで携帯をなくしてしまったというのです。去年、入学祝いに買ってもらった記念の品です。
みんなで探したけれど見つからず、波に持って行かれたものと諦めて、帰路についたもののみんなの心は沈んだままです。
イチかバチか、娘が桂浜の公園管理事務所に電話して事情を話しておいたところ、十分後に、「それらしい携帯を預かってます」と、折り返し電話がかかってきたというのです。
直ぐに取りに行きたい。でも、すでに、一時間、大阪方面に走ったところだったので、引き返すには一時間かかります。その上、事務所が閉まるまで一時間しかないといわれ。
どうするどうする。引き返すか、送ってもらうか。
迷う暇はなく、受け取る方を選んで直ちに引き返したそうです。手元に戻った携帯は、波に洗われたはずなのに生きていたことに全員大喜び。
特に、なくした本人は萎れていた息を吹き返したことでしょう。
そこで、この土下座。
「もうこんなところ二度と来ない!」と悪態をついたことを、土下座して謝っている写真です。後で聞いたら、「高知も竜馬も大好きになった」と現金なものです。
この顛末から、高知の県民性が窺えます。親切な連携プレーは日頃の心の置き所を感じさせるものでした。
都会では、マニュアルが優先されますから、こうは上手くいかなかったかもしれません。
見つけて下さったのは、海岸の見回りの方だったそうです。
駐車場にひとり、事務所にひとり、浜の見回りがひとり。そんな感じで働いておられたようです。
そんな少人数で、娘たちを絶望の際から救い出して下さいました。
これを、私は高知のプライドと見ます。
土佐の偉人である竜馬に何かを求めてやってくる人たちに、その心意気をそのまま持って帰ってもらう仕事に誇りをもっておられると感じたことです。
全員、笑顔になって、桂浜を出発したのは7時近くになってしまい、日の入り時刻はとうに過ぎていました。
車を発進しながら、
「父母が浜、今ならまだなんとか間に合うけど寄る?」と、娘の旦那。
娘が行きたがってた父母が浜に何としても連れて行ってあげたいと、心急いていた旦那さまの優しさに、私は嫉妬しそうになりました。
よき家族です。