家人が出払い、愛犬と留守番してます。
犬は、調子が悪ければ食べずに過ごせます。人間には、これが真似できません。
飽食に慣れてしまって、動物が本来持っているの勘が大いに鈍ってしまって情けないことです。
元気がないから食べなくてもいいのに、元気を出すため食べましょうなんて、口卑しいだけの話です。
ところで、和田秀樹さんの高齢者に向けての著作が次々とベストセラーになっています。
西洋医学出身の和田秀樹さんが、自身も高齢者となられて考えるところを書いておられるようです。
それは、決して西洋医学よりの話ではありません。
どの部分でそう思うのかと言われればあやふやなことです。ただ、彼自身が高血圧症であり、糖尿病であっても、服薬されていないというところに、高齢者の養生の極意をみます。
自分が調子よく過ごせているのなら、他にとやかく言われるものではないと彼は言ってます。
なのに、人は、弱いものです。
誰かに、調子良さそうですねと、いわれないと安心できないようになってしまった人の多いこと。視線は医者や他人に向けられて、自分の体と対話できていません。自分は置き去りです。
医療も、食べ物も、薬も溢れている社会で、自分をしっかり見つめる力が生きる力だと思います。
それこそ、ダルビッシュ選手がそうであったように、一歩先行く人とは動物が持つ”勘“が冴えている人ではないでしょうか。
そういえば、先月末にWHO世界保健機関が新型コロナワクチン接種に関して、指針改定を発表しました。
それによると、健康な成人や子どもは定期的な接種を「推奨しない」ことになりました。
あの大騒ぎは何だったのでしょう。
慌てる乞食はもらいが少ないという諺が、まだ生きてたなんて。
大切なのは、なんかヘン、という勘を失わないことです。
こういう現実を経験することで、ようやく、養生法は自分で選んでいいということが罷り通るようになってくると感じます。
傷であろうと、病気であろうと、治してくれているのは、自分の体であると覚悟しましょう。