こころあそびの記

日常に小さな感動を

春分

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 今日は二至二分の一つ「春分」です。
 昔の人が天象を見るとき、いちばん分かりやすかったのは夏至冬至(二至)、ついで春分秋分(二分)だったのではないでしょうか。この四つ、つまり四季からもう少し農作業に役立つ情報をと二十四節気が編み出され、さらに七十二候と細かく自然を見渡したのはもっと後のことのように思われます。
 地球の公転と自転が織りなす景色は刻一刻と変化しています。ビルや家並みで広い空が見えないから、春分といわれてもニュースで伝えられてるからそうなのかなと思う方も多いのではないでしょうか。私もその一人でした。
 でも、この年齢になってゆっくり散歩していると知らなかったことにいろいろ気づきます。
 例えば、途中の坂道から西側に六甲山系がみえます。つい一週間前には山影の一番高いところに落陽していたのに、昨日見たら随分北側に移動していました。どんどん夏に向かって日の出日の入りも北寄りになっている。それを古代人も見たであろうと想像すれば、その瞬間は時空を越えた旅人気分です。
 さて、「はなふり」。限りなく美しい言葉を教えてもらいました。
 春分の日に夕陽が沈む西の空に花が降るさまが見えると言います。それが見えるとされる雑賀岬の方はダイヤモンドダストとも表現されています。
 彼岸の中日。天から散華降り注ぐなか西方浄土を思えば、父母の笑顔が見えるような気がする”はなふり“の夕刻です。