北の国は別として、関西ではそろそろヒーターをしまおうかなという気分の時にやってきた”寒のもどり“です。
「寒のもどりすぎ!」と言い放った人が居て、思わず「座布団一枚!」と返してしまいました。
中医学では「春捂秋冻」という養生の言葉があります。春になったからといって、直ぐに薄着にせず気温が安定するまでは徐々に脱ぐこと。反対に秋には薄着で寒さに体を慣らしていくという教えです。
病気はこの春秋の季節の変わり目に起こりやすいから、特に体温調整には気をつけてという戒めでしょう。
昨日からの寒さに翻弄されないように、皆様、衣服でうまく体温を保ち養生につとめましょう。
春の寒さを表す言葉に「余寒」があります。お手紙のご挨拶にも使われる優しい表現です。
貝原益軒の『養生法』にもその対処法が書かれています。
「春は陽気がめぐり、冬の間堅く閉じていた皮膚が緩みます。そんなとき、余寒が来ると皮膚の防衛が追っ付かなくなって風邪をひいてしまいます。
つつしんで、春の寒風に当たらないようにしなければなりません。
草木も遅霜で傷みます。その姿から学び、人も余寒に注意いたしましょう。
そして、春本番に向けて、体を動かして陽気を巡らし気を充実させましょう」(要約)
植物が厳冬期に傷まず、遅霜で被害を受けるのはなぜでしょう。それは、冬はしっかり閉塞している細胞が、春になって開き始めたために、寒さをまともに受けてしまうからです。
私達の体は自然のサイクルに合わせて、本人は気づきもしていないのに四季それぞれの仕様に変化しています。
「ご主人様、私、働いてますよ」と気づかせるために、たまにはこんな寒さがやってきてもいいかもしれません。
雲をつかむ話
雨上がりの今朝の空。太陽を背に受けた雲が幾重にも重なって美しい西洋画を見ている気分でした。
雲はクラウド。近頃その存在感を高めています。
クラウドファンディングも盛んですし、One Driveのイメージも雲形です。
何のことかと思ったら、NHK「テレビで中国語」の教本にエッセイを書かれている加藤徹先生の「クラウドはデータベースです」という言葉で、ようやくその意味を知ったところです。
昔は「雲をつかむような」といえば、不確かなことでしたが、今はこの雲(クラウド)からどんな情報も仕入れることができてしまいます。物忘れの多くなった老人にとっても、ありがたい雲です。
しかし、今の子供達が鉛筆でアウトプットしないで、指先タッチで済ませてしまう勉強が果たして身につくのかという心配をされる方があることも確かです。
漢方薬でいえば、○○薬と調べて~に効くと覚えることに終始して、そのベースとなる中哲学にまで踏み込んでいないのではないかということでしょう。
私達世代はその前の世代に比べると、学習したことは薄っぺらだったことは否めません。思考の浅いことは認めます。それでも、一人一人個性を発揮して生きてきました。
長く観察してきて思うに、思考のベースは生まれてきてから身につける分量よりも、持って生まれたものの分量の方が勝るのではないかということです。自分の中にあるデータベースを元に、雲の上のデータを引っ張り出しているのではないでしょうか。
それこそ、空の上から欲しい情報を取るのは持ち前の感性ともいえます。欲しいと思うから取り出すのであって、それが人によって違うことが面白く、多様性ある社会を作っています。
だから、雲だけつかんで中身のない人になりはしないかという不安はいらないのではないでしょうか。雲が掴める時代になったのだと思いたいです。
実を結ぶ
春。
新芽がでて、花が咲き、新緑に風が吹き渡る。
確かにそんなイメージ通りに。
イチョウの幼い葉っぱのかわいいこと。
もうじきに、花が咲いて、柳じょになって舞います。
イチョウがヤナギ科だなんて知りませんでした。時々の状況に合わせたから太古から生き続けることができたのでしょう。何を見てきたの?
気づきました。花をつけている木々のなんと多いことか。この垣根のウバメガシも、花盛りでした。
「こども電話相談」の大人版があれば、どうして花をつけるのかと質問してみたいです。
それから、マスクを突き破って匂ってきたのは、クリの花でした(笑)
大好きな葉擦れの音を聞かせてくれるのは、ポプラ。風に揺れるのは葉柄が長いからだそうです。ここにいますよ、と風に手伝ってもらう方法を考えたのね。
我が家の宝物は愛犬が見つけたキンモクセイの実です。ある日、何を美味しそうに食べてるのかとよくよく見れば紫色に熟した実でした。日本では雌株は珍しいそうで貴重品!
春は自然が動き出す時。それはスタートに見えるものだけじゃなくて、いのちをつなぐための逞しいバトンタッチの時でもあります。
池江璃花子さんや松山英樹さん。
私達人間にも厳しい冬を越えてきた人がいます。それを励みにして、また今日も頑張ろうという人がいます。
「蟾蜍賦」
西国街道を象が歩いた!そんなの嘘でしょう!
いやいや、本当なんです。
1970年の大阪万博の際、インドから伊丹空港に空輸されてきた象たちは、当時、舗装もされていなかった西国街道を土煙をあげながら千里の会場まで行進した、させられたのです。
そんな悠長な時代の268年前、この街道を赤穂まで必死の形相で駆け抜けた若者がいました。
それが、箕面萱野の萱野三平です。
昨日、春うららを感じながら、ぶらぶら旧西国街道を歩いてみました。
行き着いた萱野三平邸に久しぶりに入ってみました。
春日に満ちたお庭は彼の悩み事がすでに昇華されたように穏やかでした。
俳諧にも才能を発揮したという彼の残した「蟾蜍賦」という文章の素晴らしさに感激しました。
蟾蜍はヒキガエルのこと。ヒキガエルはえらいよ~と自虐して自分の立場の危うさを嘆いているのですが、27歳にしてこれが書けることに驚きました。
昔は、勉強するものが限られていて、一点集中で漢学などを学ぶ環境から己の精神を練り上げたのか、それとも育った環境なのか、多分両輪で出来上がった人格なのでありましょう。
翻って、現代人の精神の脆弱さはどうでしょう。
AIに全てを任せられるから、精神力は不要になるということなのでしょうか。浮遊する精神に少し・・自分を棚に上げてお恥ずかしい。
萱野三平は討ち入りの47人に入れず自刃しました。入らなかった理由は、同志と共に行きたいという忠義の気持ちと、お父様のお心に添わなければという孝行心の狭間に揺れたのです。
辞世の句「晴れゆくや 日ごろ心の花曇り」
お庭の石碑が春の陽光を浴びていました。
花のティアラ
春の猛烈なスタートダッシュが止まりません。
そのスピードについていけていないことに、毎日気づきます。
平年なら、五月の連休に盛りを迎えるさつき、ツツジはもう咲いていますし、フジは盛りを過ぎてしまいました。散歩してても、落ち着かないことこの上ありません。
花に期待せずとも、五月には五月の楽しみ方がありますよと申し渡されている気分です。
そんな中、懐かしくてうれしい光景はレンゲ畑です。昔は、田んぼの春はレンゲ草で始まったので、見つけたら車を止めて子供達に花輪を作ってやったものです。
町の子の私ですが、だからこそというのでしょうか、田舎の空気に人一倍憧れがあります。太陽が山から姿を表して、山に沈んでいく。それだけでいのちが蘇るように感じてしまいます。
田んぼはお百姓さんの丹精の粋です。
畦道を走り回ることはいけないことだと知ったのは、ずっと後のこと。レンゲ畑を見つけたら嬉しくなつて、畑を踏み荒らしたこと、ごめんなさい。
近頃は、田おこし前に解放日がもうけられています。その日はレンゲ畑に入ってよいのです。その日を今日か明日かと待っています。
孫娘にも作ってやりたいなあと思っていたら、昨日、お兄ちゃんの試合の応援に行った先でシロツメクサのティアラを自分で作ってきました。
「おばば、ミータン自分で作れた!」
シロツメクサさんありがとう。この子の心をまた一つ育ててくれたことに感謝です。
肉包子
久しぶりに、いつ以来かな。豚まんを作りました。
きっかけは、府大の王先生に、フェンネルを入れることを教えてもらって、一念発起!ミッション完遂しました。
フェンネルはヨーロッパでは最古の野菜の一つといわれています。
中国語では「茴香(ウイキョウ)」といって、漢方薬にも多く使われている生薬です。
その効能は芳香性健胃薬です。胃が冷えて弱い人、胃もたれ、胃痛などの症状のある人向けに安中散という漢方薬がおすすめですが、その処方の中に茴香が入っています。
安中散は「大正漢方胃腸薬」をはじめとしてドラッグストアで見かける胃腸薬のベースとなる薬ですから、知らずに服用されている方があるかもしれませんね。
茴香は胃腸薬以外に、利尿や発汗作用もあるため、浮腫やダイエットにも効果があるようです。胃が気持ち悪い、重いというのも水が溜まっていると考えられますから胃にも効くというわけです。
春から夏にかけて湿り気の多い季節に入っていきます。そんなとき、この茴香の芳香性が気を巡らせてくれます。香りと辛味で落ち込みがちな気分を上向きにして晴らしてくれる。そんな効能をもつ生薬の一つです。
それにしても、中国野菜の種類の多さには常々感心するばかりです。
薬膳。日本では資格がないと調理できないように思われていますが、中国では日常の食事に生薬や香草を使っていますから毎日が薬膳料理です。家庭の食事が季節に合わせた養生になっている中国の野菜文化の多彩さをうらやましく思います。
今回も、まずフェンネルを探すことから始めなくてはなりませんでした。近くのスーパーに電話してみたら取り寄せてくださる由。おかげさまで、なんとか小さい株を入手できた次第です。6月頃には国産のフェンネルが手に入るそうですよ。
家族が美味しい!美味しい!とぺろっと平らげてくれました。皆様も是非に。
リスペクト
「先生、知らないのですか?」
老人施設の一室で看護士さんがドクターに言います。
「どの病室でも、お父さんはお母さんの名前を呼びかけますが、お母さんがお父さんを呼ぶことはありませんよ」
「そうなの?」とドクター。
ええっ!そんなこと知らなかったの?と私は心の中で密かに驚き。
なぜって、その医師が男性だからというだけではなく、専門は精神科だったので余計に面白くて笑いそうになりました。
精神科で脳と精神の関係を勉強されたとき、きっと男女差も学ばれたはずなのに、この誰もが知ってる現実はご存知なかったのです。
看護士さんが続けます。「女は冷たいもんですよ」。
近頃、男性、女性と分けることも憚られますが、実際は生まれた時から性別は厳然としてあるわけで、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくなんて古いと思いつつも、両親は心のどこかに男の子と女の子の理想を描いているものだと思います。
その理想的な女の子とは優しい子であるはずです。ところが、冷たいとは一体どういうことでしょう。これは女は体力的に弱いから防衛する方法を身につけざるを得なかった故の進化ではないでしょうか。好ましくないものを遠ざける手だての模索です。
男の人が結婚したら妻はずっと一緒に居てくれる自分のものだという感覚が、月日が経つうちに女の人の重荷になっていく。それは男の人には分からない気持ちです。
竹内まりやが歌っています。
「愛されているだけでは幸せになれない♪」
この人はなんと上手に切り取るのだろうと、その部分になると耳をそばだてて聴いてしまいます。
精神科の先生、大丈夫ですよ。いろいろ怖がらせましたが、お互いの人間としてのリスペクトがあれば愛は続きますから。