こころあそびの記

日常に小さな感動を

2021年の大晦日

f:id:snowrumirumi:20211231114836j:plain


 山の向こうに雪模様。それが、流れてきて、小雪舞う墓参りになりました。
 どうしても今日しなくてはならなないこと、できたら今日やっておきたいこと、明日でもいいと思えること。
 優先順位をつけても、年末の雑事は尽きません。
 こんなことも、だんだんにがんばれないようになっていくのだろうなぁと思う古希の年の瀬です。
 それでも、子や孫が集まるとなれば、寝正月を決め込むこともできずに、今から台所に張り付く日が続きます。
 これも、幸せの一つの形。味あわせてもらえるうちは、やっぱり頑張ってしまうのです。


 早朝、台所仕事をしながら、NHK「知の巨人、最後の言葉 ~半藤一利立花隆~」を見ました。
 今年、鬼籍に入られたお二方です。
 立花さんは昭和を語るには欠かせない知の権化でした。 
 一方、生前は存じ上げなかった半藤さんのことを、お亡くなりになった時の映像で知りました。彼が言いたかったことを知って、もったいないことをしたと思った次第です。

f:id:snowrumirumi:20211231154508j:plain

 その勉強量を支えられた奥様がエッセイストと、これまたその後に知って、本屋で平積みになっていた『硝子戸のうちそと』という本を買ってしまいました。
 本を買おうか、止めておこうかと逡巡するとき、思わず手が伸びるのは、帯に記されているキャッチーな言葉ではないでしょうか。
 「彼のおかげで愛というものを知りました」
 これ以上ない上手い言葉で鷲掴みにされたために、あっさりレジに持っていくことになりました。
 著者の半藤末利子さんは六十の手習いで始めた物書きとはいえ、お爺さまはあの夏目漱石ということですから、その筆力はお墨付きです。こういうレッテルは要らないとご本人がおっしゃっているのに書いてしまいました。ごめんなさい。
 軽妙なというか、洒脱な文章がついつい身を乗り出させます。
 勉強と読書を仕事にする人は口数少なく存在自体が重いように思っていたのですが、この本からは、ずっと空気の通りがよさそうなご家族の雰囲気が感じられました。
 心底、愛し合ったご夫婦だったのですね。
 「来世があるなら、私はまた夫のようにぴったりと気の合う、優しい人と結ばれたい」と結ばれていました。

 朝のテレビで生前の半藤一利さんは、「勉強しなくてはいけない」。戦争を再びするようなことにならないために、勉強しなさいとおっしゃっていました。
 そのことは、奥様にも遺言としてお伝えになられたようです。「墨子を読みなさい。彼は二千五百年前に戦争をしてはいけないと言ってるんだ。偉いだろう」と言って逝かれたそうです。
 私も『墨子よみがえる』(半藤一利著)を読んで、知の巨人を偲んでみたいと思っています。

 立花隆さんも、半藤一利さんも口を揃えて、勉強しなさいと言い残されています。
 その目的は平和な世界をつくるためです。

 戦争のない時代に育った者のつとめとして、この平和を繋ぐ一員としてせめて祈り続けていきたいです。
 
 すべての人によい年が巡ってきますように祈り上げます。

f:id:snowrumirumi:20211231154530j:plain

いのちの根の信ずるところ

f:id:snowrumirumi:20211230152111j:plain


 クロッカスを植えました。
 数年前から、なぜか心惹かれて、昨日の午後やっと望みが叶いました。
 春を告げる花ならスイセンでもよかったのに、どうしたことかクロッカスへのこだわりが消えずにいました。

 空よりも大地に近くクロッカス  稲畑汀子

 この虚子のお嬢様の感性が好きです。
 クロッカスは丈が短いから、凍った土から顔を出すエネルギーに春の生命力を感じ易いと見られたのでしょうか。
 ともあれ、これで、来春への希望を繋ぐ儀式を終えたことにほっとしました。
 あとは、花も私も寒さ厳しい寒中を凌ぐばかりです。節分の頃には、春ですよ!おはよう!って言ってくれるかな。楽しみです。

f:id:snowrumirumi:20211230162333j:plain

 休みになって、テレビの番をする時間が増えました。 
 たまたま見た二つの番組が同じような内容だったので、ご報告したいと思います。

 一つ目は南米の「マチュピチュ」でした。
 どんなに誘われても、自分なら決して行かない場所にありました。
 なぜ、そんな高い山のてっぺんに住むようになったのかという理由は聞き損ねましたが、彼らの宗教施設は太陽の動きを計るためのものでした。
 冬至の日に石の間から真っ直ぐに射してくる太陽光。その日から太陽の再生が始まるように工夫された石組みが、彼らの太陽信仰の真剣さを表していました。

 二つ目は英国の「ストーンヘンジ」です。
 輪っかに置かれた石群の謎を解いていく番組でした。
 居住(生)する空間から川を移動したところにある墓所(死)ではないかといわれる所です。
 しかし、そのストーンヘンジに進む道は、冬至に太陽が沈むときに石群を通して射す光の道に合致しています。
 つまり、この遺跡も太陽の再生を願う信仰心から作られたものだったのです。

f:id:snowrumirumi:20211230161736j:plain


 人間は、大丈夫さ。明日も朝が来る。と信じることで生き抜いてきました。
 コメンテーターのお一人が、「技術の発達は人類発展の過程ではあるけれど、“人とは何か”という究極の命題は、古今東西の人間に共通している普遍のものである」というメッセージを語られました。
 科学技術を発達させる人間の知恵は留まるところがありませんが、一人一人の中にあるいのちの根源は自然の循環を信じ、明日の朝、太陽が昇ってくると信じていることにあります。
 目先が高速回転するので、そんな大切なことを振り落としそうになっている現代人に気づいて欲しい冬至話でした。

もういくつねるとお正月

f:id:snowrumirumi:20211229135759j:plain


 「 もういくつねると お正月
   お正月には凧揚げて 追い羽根ついて
   遊びましょう
   早くこいこい お正月 」

 こんな歌を歌っている子供は見かけなくて、せいぜいスーパーで耳にするくらいになってしまいました。
 凧揚げよりも、羽子板よりも刺激的な遊びがいっぱいですものね。
 でもね、これら静かな遊びの中に先人の知恵が含まれていることを知らずに成長するのはもったいないことです。
 凧揚げには、風に揉まれても破れない和紙の技術、竹ひごの柔軟さ。そして、天空に吹く風を読む力が要りましょう。
 羽子板の絵柄は女の子の憧れで、お気に入りを買ってもらうのが、お正月前の楽しみでした。
 羽子板の音がこだまする静かなお正月は、平和の象徴です。
 
f:id:snowrumirumi:20211229151504j:plain

 コロナ禍から未だ抜けきれない歳末ですが、それでも、去年ほどの暗さはなくなっていると見ていますが、どうでしょう。
 年内の工事も終了して町は静かになりました。そうなると、気持ちは新年の準備にかかります。
 家に籠もっていると迎春の活気はわかりませんが、一歩外に出るとその熱量を感じることができます。

 私の両親はどちらも大阪の人間でしたので、人混みが大好きでした。やれ黒門へ、やれ百貨店へと、「迎春ムード」を味わうためにうろうろしたことが懐かしいことです。帰りには、心(斎橋)ブラついでに、晴れの日の洋服を調達してもらって、気分は否が応でも徐々に盛り上がっていくのでした。
 誰もお酒を飲まないのに、「コノワタ」や「数の子」をゲットして、「あのカニ動いてるよ」「ほら、みてごらん。あのふぐ」と買いもしないのに店先を探索するのも大晦日のお楽しみでした。
 もちろん、押し合いへし合いで、今では考えられない賑わいでした。あんな野蛮なことをと、後の時代の人に笑われそうな昭和は、「三丁目の夕日」ではありませんが、どこか人間らしい温もりがある時代だったと思います。
 もう、この先、あんな光景を見ることはなくなるでしょう。ソーシャルディスタンスにネットショッピング。民度が上がって、みんなお行儀よくなりましたからね。
 
 父母と過ごしたお正月を思い出しながら、彼らのやっていたことをささやかに真似しています。
 今年のお花は一束○円のセット花です。
 それでも、玄関と床の間に生け終わって、余りの小花たちもそれぞれに居場所を見つけてあげたら、気持ちはすっきりいたします。あぁ新年が始まると。
 あとは、年賀状ですね。もう止めるという方もおられますから、思案のしどころです。でも、年賀状がないお正月は気の抜けたサイダー。と思うと、やっぱり書いてしまいます。
 ドキドキしてきました。それが、お正月ですよね。
 世間に乗り遅れない程度の高揚感を持つことも、ぼけ防止には必要なことだと思っています。

お天道様が見てはるよ

f:id:snowrumirumi:20211228125828j:plain


 通勤途中、淀川沿いの道を通ります。静かな流れに向かって、「おはよう!きれいだね。今日もよろしく」と車内から大声で話しかけるのが私の朝の決まり事です。
 自転車で学校へ急ぐ子ども達を見ては青春を思い、杖をつく老人にはエールを送ります。そこは人生模様に彩られた一本道です。
 また、空に通じていそうに見える土手の階段は、上るのがもったいないくらい。期待が膨らむ景色です。
 映画監督が、土手を舞台に撮りたくなる気持ちが分かるロケーションです。


f:id:snowrumirumi:20211228191030j:plain
  
 ところで、昨日、たまたまラジオ「裏の裏まで浦川です」をつけたら、浦川アナウンサーがえらいことになっているというではありませんか。
 ラジオですから、その痛々しい姿は想像するしかありませんが、飼い犬に鼻を噛まれたというのです。
 この歳末の不運な出来事は、ただただお気の毒なことです。視聴者からは、お祓いにいった方がよいのではというメールまで届いたそうですから、大事だったようです。
 独り者の彼は常々わんこを友として暮らしていると公言されています。その愛犬がご主人様の鼻を噛むとは。でも、そのわんこは牝犬だと聞いて、ピンときました。
 私も何匹か飼った犬のうち、人を噛んだのは牝犬だけだったことを思い出したのです。心が乱れ易いのは女の子ということを知り、それ以来、種別は違えど男の子を飼うようになりました。

 話は逸れますが、近頃は男女差を認めないという平等が広がり、世間でも認知されつつあります。
 しかし、男女差はあるはず。同じですよと信じ込ませるのも程々にしないと、いつか悲劇がおきないとも限りません。
 ある男子校の校長先生が、うちは共学にはしません、と宣言されていたのを聞いて、正論だと思ったのは私だけでしょうか。
 あるいは、男女は同じですと言い続けたら同じになるのかもしれませんが、そうなった暁には、世の中が平板になるかと思うと、昭和の人間は一抹の寂しさを禁じ得ません。

f:id:snowrumirumi:20211228195819j:plain

 子育て真っ盛りの友人がいて、最近の幼稚園事情などを聞かせてくれました。
 彼は、心理学に興味があって、ある時期その関係の本を読みまくったそうです。
 ですから、必然的に子育ては子供の心を大切にすることに重きをおいています。私なら、カーっとなってがなり立ててお終いになるところ、「どうしてそんな風に思ったの」と聞いて待つことから始まります。
 「さすがやね。ところで、そのあなたを育てたお母さんはなんと言って育てはったの?」
 「大人はみんな見えてるよと、よく言ってました」という言葉に、私の母もよく言っていたこと思い出しました。
 そうですよね。日本の母はみんなそう言い聞かして子供を育てていました。
 「お天道様さまは見てはる」とか「そんなことしてたらバチが当たる」とか。
 それが、心のどこかに畏れというものを刷り込んだと思われます。
 
 心理学のパターン教育もいいけれど、そのもっと進化したというか、人間が行き着く先にあるのが、昔の母親が子供に言い聞かせた言葉ではないでしょうか。
 子供だましみたいな言葉であって、決して騙しではない真実。
 学問がそこに到達する日はいつなのでしょう。

あなたを守る盾

f:id:snowrumirumi:20211227142040j:plain


 今日、近畿北部は何年ぶりかの豪雪となっています。  
 雪化粧を期待して見渡したところ、我が家から見える範囲では山の高いところが白くなっているくらいでした。
 それにしても、不思議なことです。
 気象学にも地理学にも疎いのですが、山があるだけで、その南側にはよほどのことがない限り降雪がないのはどうしたことでしょう。

 いわば、山が北風を防ぐ屏風になって自然の要塞の働きをしてくれています。
 
f:id:snowrumirumi:20211227202207j:plain

 屏風つながりで、漢方に『玉屏風散』と名付けられた薬があります。
 外からの邪気を、この薬が盾(屏風)になって防いでくれることから付けられました。なんと上手い命名なのでしょう。
 私たちの体の外側は衛気という「気」で守られています。自衛の衛です。これを西洋医学では免疫力と称しています。
 繰り返しになりますが、「気」は食べ物を消化してできる精と、天から降り注ぐ気から得た精と、親からもらった精から出来ています。
 消化吸収がスムーズにできる胃腸と、深い呼吸で天の気を取り込むことのできる肺と、親からもらった精を蔵している腎。
 いのちの在りかを探ろうとすれば、ここを外しては語れません。
 
 さて、この衛気が少なくなって、屏風の働きが衰えると、鼻水が出たり、汗をかいたり、風邪をひきやすくなったりします。
 そんな症状は春先のアレルギーによくみられますから、『玉屏風散』は春によく飲まれる薬です。
 主薬の黄耆(おうぎ)は補気薬の王様です。
 不足している気を補うことで、皮膚のバリアを強化し、外から迫る邪を寄せ付けないようにする結果、鼻水を止めます。
 
 一方、鼻水が出るからと、「小青竜湯」を特効薬と信じてせっせと服用される方があります。
 若くて元気があるうちはよろしいのですが(中庸に戻す力がある)、高齢になると気が減ってくるため(傾きを治せない)副作用が出やすくなります。だから、高齢者は注意が必要です。
 
 「小青竜湯」はどのようにして鼻水を止めるかというと、交感神経を刺激することで止めます。
 例えば、朝、鼻水が出ていても活動を開始したら、あらっ?止まってるという経験はないですか?
 興奮して、体が温まってきたら止まる。水洟といわれるものは、体が冷えているサインでもあるのです。
 それと同時に、交感神経を興奮させるということは、人によっては血圧が上がるという悪影響が出ることが考えられます。
 先日も、処方通りに1日3回律儀に飲んでおられる高齢者がありました。小柄な女性でした。
 降圧剤を服用しているにも関わらず、最近、血圧が高くなっているとおっしゃっていました。断言する事はできませんが、影響はあるかと思います。
 「この薬はね、血圧に影響するかもしれないから、鼻水が出たときだけ飲むようにしてね」とお送りしました。
 
f:id:snowrumirumi:20211227202320j:plain

 同じように鼻水が出るという症状でも、冷えているから出るのか、気(免疫力)が少なくなって出てくるのか。原因を知ってから対処法を選ぶことが大切です。
 それが自分のいのちを自分で守ることになるはずです。

逍遥する心

f:id:snowrumirumi:20211226104601j:plain


 冬晴れの朝。裏六甲はうっすら雪化粧かな。明朝が楽しみです。


f:id:snowrumirumi:20211226105018j:plain


 冬至前後、太陽は顔を見せてからしばらくの間、横歩きしていて、なかなか上りません。南中高度は30度ということですから、夏の80度と比べれば、格段に降り注ぐエネルギー量が減っています。
 おかげで、その光のなんと優しいこと。
 柔らかい光を感じながら川面を見てたら、お月さまを発見!空には下弦の月。もう少しよい条件の所まで行ってからと思って欲を出したら、それ以降お目にかかれませんでした。
 一期一会。

 失うものあれば、得るものあり。なんと、向こう岸に自分と犬の影が映っているではありませんか。太陽高度の低い今限定の影絵です。こんなちっぽけな発見がうれしい朝でした。

f:id:snowrumirumi:20211226112019j:plain

 歩きながら、突然、「丁度いい」という言葉が浮かびました。
 良寛さんの詩ではなかったのですね。
 帰ってから調べたら、浄土真宗のお寺の方で藤場美津路さんという女性の作品だと知りました。
 「お前はお前で丁度いい」で始まり、最後は「丁度よいと聞こえたとき 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏」で終わります。
 “丁度いい”は諦めの言葉ではありません。諦めは明らめであって、物事が明らかになること。それは、修業の到達点でもありましょう。

 良寛さんもその到達点を目指された方、というのは少し違うようです。
 確かに庄屋を継ぐことを放棄して、出家された頃には迷いがあったはずですが、出雲崎に帰って五合庵に住まわれるようになってからは、自由無碍の境地におられたようです。

f:id:snowrumirumi:20211226120521j:plain

 「天上大風」という有名な書があります。
 全ての束縛を解いて、大空に吹かれ放たれている心を感じます。
 また、良寛さんといえば、鞠つきです。

 「こどもらと手まりつきつつこの里に遊ぶ春日はくれずともよし」

 「和顔愛語」を大切にされた良寛さん。交わす言葉ではなく、一緒に居たいと思わせる雰囲気が利行に結びついたと思われます。

 テクニックではない。心がなさしめる方向というのが大切だとつくづく思っています。
 唐突ですが、高齢者ドライバーの私。丁寧な運転は当たり前の心がけですが、それ以前に、人に対して優しい眼差しを持たなければ、丁寧な運転は出来ないのではないかと思いながらハンドルを握る毎日です。

一陽の射して輝く天守閣

f:id:snowrumirumi:20211225172050j:plain


 帰巣本能とは、不慣れな場所を通って以前に暮らしたことのある場所へ行くことらしいです。
 不慣れもなにも、懐かしさに誘われてつい足が向くのが、幼少期を過ごした場所です。
 鮭や鰻のように五感を駆使して賢い探索をしなくても、迷うことはありません。だから、どのルートで行こうかと計画すること自体が、帰巣の楽しみの一つです。
 
 大阪城には徒歩オンリーを除いては、3つのルートがあります。
 JRで大阪城公園まで行く方法と、大阪メトロで谷町六丁目まで行って歩く方法、そして、シティバスを利用して大手前で降りる方法です。
 近ごろ、時間に余裕ができたのでシティバスを利用しています。1時間に2本しかない路線もあるので、忙しい向きには諦めざるを得ませんが、なんといっても、真っ暗な地下ではなく、朝の光の中を景色を見ながら行く贅沢がお薦めの理由です。

 子供が小さかった頃、阪急電車を使わず、阪急バスで箕面まで帰ったものです。その頃は箕面行きが梅田から出ていたのです。
 子ども達が車窓の景色を見ている間、私は束の間の旅人気分を堪能できました。

 そんなとき、梅田停留所でバスを待っていたら、戦争帰りの方と思しい耳が欠けたお爺さんが話しかけて来られました。
 子ども達のこと、「何歳?」と訊かれたのか、「何年生まれ?」と尋ねられたのか忘れましたが、お応えするやいなや、手でげんこつを作って、山・谷・山・谷・・と数えて、長男のことを「午年やな。長男や」。次男のことを「申年やな。頭ええで」。娘のことを「戌年やな。あんたとええで」と教えて下さったことが、今でも忘れられません。
 生まれて初めての占い。これは、占いではなく干支の特徴だったのですが、そう言い残して消えていかれたあのお爺さんは仙人だったのでしょうか。


 そんな思い出もあって、バス乗車は楽しいものだと思っています。


f:id:snowrumirumi:20211225182515j:plain

 今朝も天守閣は輝いていました。
 お城の周りをランニングする人とすれ違い、修道館で朝練する元気な声を聞き、外人さんもちらほらと見かける、非日常の空間です。
 東京でいえば、皇居周辺に等しいほどに美しくなって、ちょっと誇らしい古巣でした。
 
f:id:snowrumirumi:20211225182532j:plain

 桜門を出たところにあるのが豊国神社。鳥居の中に大きな像が見えます。朝日が逆光になってよく見えないため主を確かめようと側まで行ったら、当たり前ですが「豊臣秀吉像」でした。
 拝殿横には「出世開運」と書いた大きな絵馬が奉納されていて、さすがは秀吉さん!とクスッとさせてもらいました。
 丁度、朝の拝礼の時刻だったようで、私が「パンパン」と柏手を打ったら、応えるように神殿の中からも「パンパン」と聞こえてきました。
 帰巣場所が大阪城って、ちょっといい感じです。

f:id:snowrumirumi:20211225182550j:plain