こころあそびの記

日常に小さな感動を

逍遥する心

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 冬晴れの朝。裏六甲はうっすら雪化粧かな。明朝が楽しみです。


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 冬至前後、太陽は顔を見せてからしばらくの間、横歩きしていて、なかなか上りません。南中高度は30度ということですから、夏の80度と比べれば、格段に降り注ぐエネルギー量が減っています。
 おかげで、その光のなんと優しいこと。
 柔らかい光を感じながら川面を見てたら、お月さまを発見!空には下弦の月。もう少しよい条件の所まで行ってからと思って欲を出したら、それ以降お目にかかれませんでした。
 一期一会。

 失うものあれば、得るものあり。なんと、向こう岸に自分と犬の影が映っているではありませんか。太陽高度の低い今限定の影絵です。こんなちっぽけな発見がうれしい朝でした。

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 歩きながら、突然、「丁度いい」という言葉が浮かびました。
 良寛さんの詩ではなかったのですね。
 帰ってから調べたら、浄土真宗のお寺の方で藤場美津路さんという女性の作品だと知りました。
 「お前はお前で丁度いい」で始まり、最後は「丁度よいと聞こえたとき 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏」で終わります。
 “丁度いい”は諦めの言葉ではありません。諦めは明らめであって、物事が明らかになること。それは、修業の到達点でもありましょう。

 良寛さんもその到達点を目指された方、というのは少し違うようです。
 確かに庄屋を継ぐことを放棄して、出家された頃には迷いがあったはずですが、出雲崎に帰って五合庵に住まわれるようになってからは、自由無碍の境地におられたようです。

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 「天上大風」という有名な書があります。
 全ての束縛を解いて、大空に吹かれ放たれている心を感じます。
 また、良寛さんといえば、鞠つきです。

 「こどもらと手まりつきつつこの里に遊ぶ春日はくれずともよし」

 「和顔愛語」を大切にされた良寛さん。交わす言葉ではなく、一緒に居たいと思わせる雰囲気が利行に結びついたと思われます。

 テクニックではない。心がなさしめる方向というのが大切だとつくづく思っています。
 唐突ですが、高齢者ドライバーの私。丁寧な運転は当たり前の心がけですが、それ以前に、人に対して優しい眼差しを持たなければ、丁寧な運転は出来ないのではないかと思いながらハンドルを握る毎日です。