クロッカスを植えました。
数年前から、なぜか心惹かれて、昨日の午後やっと望みが叶いました。
春を告げる花ならスイセンでもよかったのに、どうしたことかクロッカスへのこだわりが消えずにいました。
空よりも大地に近くクロッカス 稲畑汀子
この虚子のお嬢様の感性が好きです。
クロッカスは丈が短いから、凍った土から顔を出すエネルギーに春の生命力を感じ易いと見られたのでしょうか。
ともあれ、これで、来春への希望を繋ぐ儀式を終えたことにほっとしました。
あとは、花も私も寒さ厳しい寒中を凌ぐばかりです。節分の頃には、春ですよ!おはよう!って言ってくれるかな。楽しみです。
休みになって、テレビの番をする時間が増えました。
たまたま見た二つの番組が同じような内容だったので、ご報告したいと思います。
一つ目は南米の「マチュピチュ」でした。
どんなに誘われても、自分なら決して行かない場所にありました。
なぜ、そんな高い山のてっぺんに住むようになったのかという理由は聞き損ねましたが、彼らの宗教施設は太陽の動きを計るためのものでした。
冬至の日に石の間から真っ直ぐに射してくる太陽光。その日から太陽の再生が始まるように工夫された石組みが、彼らの太陽信仰の真剣さを表していました。
二つ目は英国の「ストーンヘンジ」です。
輪っかに置かれた石群の謎を解いていく番組でした。
居住(生)する空間から川を移動したところにある墓所(死)ではないかといわれる所です。
しかし、そのストーンヘンジに進む道は、冬至に太陽が沈むときに石群を通して射す光の道に合致しています。
つまり、この遺跡も太陽の再生を願う信仰心から作られたものだったのです。
人間は、大丈夫さ。明日も朝が来る。と信じることで生き抜いてきました。
コメンテーターのお一人が、「技術の発達は人類発展の過程ではあるけれど、“人とは何か”という究極の命題は、古今東西の人間に共通している普遍のものである」というメッセージを語られました。
科学技術を発達させる人間の知恵は留まるところがありませんが、一人一人の中にあるいのちの根源は自然の循環を信じ、明日の朝、太陽が昇ってくると信じていることにあります。
目先が高速回転するので、そんな大切なことを振り落としそうになっている現代人に気づいて欲しい冬至話でした。