こころあそびの記

日常に小さな感動を

お天道様が見てはるよ

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 通勤途中、淀川沿いの道を通ります。静かな流れに向かって、「おはよう!きれいだね。今日もよろしく」と車内から大声で話しかけるのが私の朝の決まり事です。
 自転車で学校へ急ぐ子ども達を見ては青春を思い、杖をつく老人にはエールを送ります。そこは人生模様に彩られた一本道です。
 また、空に通じていそうに見える土手の階段は、上るのがもったいないくらい。期待が膨らむ景色です。
 映画監督が、土手を舞台に撮りたくなる気持ちが分かるロケーションです。


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 ところで、昨日、たまたまラジオ「裏の裏まで浦川です」をつけたら、浦川アナウンサーがえらいことになっているというではありませんか。
 ラジオですから、その痛々しい姿は想像するしかありませんが、飼い犬に鼻を噛まれたというのです。
 この歳末の不運な出来事は、ただただお気の毒なことです。視聴者からは、お祓いにいった方がよいのではというメールまで届いたそうですから、大事だったようです。
 独り者の彼は常々わんこを友として暮らしていると公言されています。その愛犬がご主人様の鼻を噛むとは。でも、そのわんこは牝犬だと聞いて、ピンときました。
 私も何匹か飼った犬のうち、人を噛んだのは牝犬だけだったことを思い出したのです。心が乱れ易いのは女の子ということを知り、それ以来、種別は違えど男の子を飼うようになりました。

 話は逸れますが、近頃は男女差を認めないという平等が広がり、世間でも認知されつつあります。
 しかし、男女差はあるはず。同じですよと信じ込ませるのも程々にしないと、いつか悲劇がおきないとも限りません。
 ある男子校の校長先生が、うちは共学にはしません、と宣言されていたのを聞いて、正論だと思ったのは私だけでしょうか。
 あるいは、男女は同じですと言い続けたら同じになるのかもしれませんが、そうなった暁には、世の中が平板になるかと思うと、昭和の人間は一抹の寂しさを禁じ得ません。

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 子育て真っ盛りの友人がいて、最近の幼稚園事情などを聞かせてくれました。
 彼は、心理学に興味があって、ある時期その関係の本を読みまくったそうです。
 ですから、必然的に子育ては子供の心を大切にすることに重きをおいています。私なら、カーっとなってがなり立ててお終いになるところ、「どうしてそんな風に思ったの」と聞いて待つことから始まります。
 「さすがやね。ところで、そのあなたを育てたお母さんはなんと言って育てはったの?」
 「大人はみんな見えてるよと、よく言ってました」という言葉に、私の母もよく言っていたこと思い出しました。
 そうですよね。日本の母はみんなそう言い聞かして子供を育てていました。
 「お天道様さまは見てはる」とか「そんなことしてたらバチが当たる」とか。
 それが、心のどこかに畏れというものを刷り込んだと思われます。
 
 心理学のパターン教育もいいけれど、そのもっと進化したというか、人間が行き着く先にあるのが、昔の母親が子供に言い聞かせた言葉ではないでしょうか。
 子供だましみたいな言葉であって、決して騙しではない真実。
 学問がそこに到達する日はいつなのでしょう。