帰巣本能とは、不慣れな場所を通って以前に暮らしたことのある場所へ行くことらしいです。
不慣れもなにも、懐かしさに誘われてつい足が向くのが、幼少期を過ごした場所です。
鮭や鰻のように五感を駆使して賢い探索をしなくても、迷うことはありません。だから、どのルートで行こうかと計画すること自体が、帰巣の楽しみの一つです。
大阪城には徒歩オンリーを除いては、3つのルートがあります。
JRで大阪城公園まで行く方法と、大阪メトロで谷町六丁目まで行って歩く方法、そして、シティバスを利用して大手前で降りる方法です。
近ごろ、時間に余裕ができたのでシティバスを利用しています。1時間に2本しかない路線もあるので、忙しい向きには諦めざるを得ませんが、なんといっても、真っ暗な地下ではなく、朝の光の中を景色を見ながら行く贅沢がお薦めの理由です。
子供が小さかった頃、阪急電車を使わず、阪急バスで箕面まで帰ったものです。その頃は箕面行きが梅田から出ていたのです。
子ども達が車窓の景色を見ている間、私は束の間の旅人気分を堪能できました。
そんなとき、梅田停留所でバスを待っていたら、戦争帰りの方と思しい耳が欠けたお爺さんが話しかけて来られました。
子ども達のこと、「何歳?」と訊かれたのか、「何年生まれ?」と尋ねられたのか忘れましたが、お応えするやいなや、手でげんこつを作って、山・谷・山・谷・・と数えて、長男のことを「午年やな。長男や」。次男のことを「申年やな。頭ええで」。娘のことを「戌年やな。あんたとええで」と教えて下さったことが、今でも忘れられません。
生まれて初めての占い。これは、占いではなく干支の特徴だったのですが、そう言い残して消えていかれたあのお爺さんは仙人だったのでしょうか。
そんな思い出もあって、バス乗車は楽しいものだと思っています。
今朝も天守閣は輝いていました。
お城の周りをランニングする人とすれ違い、修道館で朝練する元気な声を聞き、外人さんもちらほらと見かける、非日常の空間です。
東京でいえば、皇居周辺に等しいほどに美しくなって、ちょっと誇らしい古巣でした。
桜門を出たところにあるのが豊国神社。鳥居の中に大きな像が見えます。朝日が逆光になってよく見えないため主を確かめようと側まで行ったら、当たり前ですが「豊臣秀吉像」でした。
拝殿横には「出世開運」と書いた大きな絵馬が奉納されていて、さすがは秀吉さん!とクスッとさせてもらいました。
丁度、朝の拝礼の時刻だったようで、私が「パンパン」と柏手を打ったら、応えるように神殿の中からも「パンパン」と聞こえてきました。
帰巣場所が大阪城って、ちょっといい感じです。