こころあそびの記

日常に小さな感動を

つれづれ語り

 

 旅の疲れにかこつけて、朝からぼーっとテレビを観てました。

 昨夜の『プリズム』最終話は、それぞれの人生が始まるところで終わりました。それは、予想していたとおりでしたので、とりわけ心が動くこともなかったのですが、埋め込まれた浅野さんの言葉が素敵でした。

 「離れていても繋がっている」。

 旅をしてきたばかりの私にとって、もう、二度と会えない人々との交流が思い出される台詞でした。

 人はこうやって、つながりあって生きている。一度でも、袖擦りあったことには、目に見えない理由があったはずです。

 この世が孤独ではないことを、このセリフが教えてくれました。いい言葉です。

 

 

 そんなこと反芻しながらテレビを観ていたら『チムドンドン』が、緊張感いっぱいのシーンから始まりました。

 SNS上で酷評が並ぶドラマですが、辻褄が合わなくてもいいじゃないですか。

 仕事前の忙しい朝に、頭の体操ではないですが、気持ちを揺さぶるワンシーンがあれば十分に役目を果たしているのではないでしょうか。

 今朝は、まさに、今までろくでなしの兄貴といわれた賢秀にとって、面目躍如の展開でした。

 よかった。竜星涼さんの役者人生を心配していたおばあさんは、少し安心しましたよ。

 人生は一本道ではなくて、岐路は次々と現れます。その時、その時、迷った挙げ句に選ぶしかなかった道なのに、到達するところは同じという迷路。

 辛くても淋しくても、人は生き抜くことで、周りの人に勇気を与えます。だから、実話が人々の興味の対象になり得るのだと思います。

 

 

 ところで、今朝は、子供時代の沖縄で、暢子がもらい子になって東京に出て行くシーンが回想されました。

 もらい子。

 親元に残る子供は貧しい生活から抜け出す兄弟を羨ましく思う部分があるかもしれません。

 でも、当の本人は人生に一抹の悔いを残すことになります。

 私も他の兄弟と一緒に育ちたかったと。

 これは、おばあちゃんの妹で養女に出された人の言葉です。

 兄妹の中で、一番の器量よしだったために選ばれて、養い親に蝶よ花よと育てられたそうです。

 実家に残った兄妹たちの羨む気持ちとは裏腹に、本人は淋しい思いであったそうです。

 どんな状況であっても、子供は親が好きです。たとえ虐待を受けていようと子は親を悪く言うことはありません。

 子育て中の皆さま、なにもしなくていいから、一緒にいてあげてください。

木のいのちと共に

 宮崎県綾町に、郷田實さんという町長がおられました。

 綾は、宮崎市内からバスで大淀川を遡ること一時間と少しの所にあります。当然、町の主な産業は林業でした。そんな町にふってわいたのが、森の伐採事業でした。

 これに猛烈に抗議して差し止めることに生涯をかけたのが郷田町長だったのです。

 なぜ、彼が森を切り崩すことに反対したのでしょうか。

 それは、目の前の営利よりも遠い将来を見越してのことでした。子孫に残してやれるものは、この自然であるという強い思いで、妨害に負けずに、森を守りました。

 おかげで綾町の照葉樹林帯は守られて、今では日本に残る数少ない貴重な森として名を馳せています。

 その方のお嬢さんが美紀子さんです。

 「美紀子、あの山の木は、誰も耕さず、肥料も与えないのに毎年たわわに実をつける。自然の力とは素晴らしいものだ」。

 お父様が亡くなって、思い出される父の言葉と『結いの心』に書かれています。

 自然は確かな循環を繰り返している。無駄なことは一つもない。

 その思いを深くしてくれた郷田さん親娘です。

 

 郷田さんのお店でオーガニックランチをいただいてから、少し時間がありましたので、町の「手作りほんものセンター」に行ってみました。

 受付におられた女性は、なんと宮城県生まれ。関東で彼と出会ってこちらに来られた、いわば、移住者です。

 ここは、そんな人が多いと聞きました。その中のお一人、児玉工芸の児玉喜輝さんを是非訪ねてみてとアドバイスされました。

 

 木工作家さんです。

 お目にかかってみて、お人柄に悠久を感じました。

 元々はエンジニアだったそうで、木に魅せられて木工を始められたとか。

 自然からいただいた木のいのちを、大切に、愛おしんで、循環されています。

 

 例えば、この積み上げられた作品たち。小さい小物で十年。大きなもの、中でも、茶筒などは三十年こうやって乾かすそうです。

 作品を送り出してからも循環は続きます。

 近くの幼稚園では、こちらのお椀を使っているそうです。なんて贅沢な。そのお椀も十年ほどで、木が変形してきます。まだまだ、生きてる証拠です。

 それを、削ったりして使える形にするところまで仕事は続きます。

 木は生き続けている。木と対話を続けられるかどうかが木工作家の能力でありましょう。

 長いスパンで生きておられることは、穏やかなお話ぶりで分かりました。なかでも、印象に残ったのは、「時間はぶつ切りで考える者の感覚であり、一旦、循環の中に入ってしまえば時間はないに等しい」という言葉に覚醒されました。

 実践の中から生まれるほんまもんの哲学です。

 

 作業所に心地よい風が吹き抜けます。

 聞けば、この風は、前に小川が流れているから生まれるとのこと。

 ふと、軒に絡まる「美男カズラ」に、花と実が同時についていることに気づきました。牛の体を拭いてやったり、昔はシャンプーにも使っていたそうです。

 そうなんだ。

 「捨てるものなど何もない。」

 郷田實さんの言葉がまた思い出される綾の町でした。

言葉のおみやげ

 「お客さん、言葉のおみやげを持って帰ってください」と、教えてくださったタクシーの運転手さん。

 おみやげは数あれど、自分の心に残ったお話を持ち帰ることに勝るものはありません。

 それに倣って、おみやげ話をしてみたいと思います。

 

 そもそも、なぜ、宮崎の二日目の行程に高千穂を選んだかというところからふるっていました。

 せっかくだから、宇佐八幡宮にしようか。いや、青島神社、鵜戸神社・・候補地を絞りきれずにいました。

 そんなとき届いた月刊誌『致知』を開きましたら、巻頭の言葉を今月から高千穂神社宮司でおられる後藤俊彦さんが書かれることになったとあるではありませんか。

 ええっ。これは高千穂に行けというお導きだと閃いて、即行、決定した次第です。

 あとで、知ったことですが、この宮司さんは、神社本庁から最高位の称号である「長老」を授与されておられます。ご本もたくさん著しておられたので、帰宅後、『山青き神のくに』という題名に惹かれてアマゾンに発注いたしました。

 

 という、流れに乗って、行くことにしたのですが、延岡から高千穂に向かうバスのフロントガラスに打ちつける雨を払うワイパーを見てるだけで、心が折れそうでした。

 横を流れる五ヶ瀬川の流量も激しくなってきてるように見えて、不安が増幅され、帰る算段ばかりが脳裏をめぐり始めたことでした。

 

 

 ところが、高千穂が近づくにつれ、雨が上がり青空が見え始めたのです。いい加減なもので、とたんに、失望から希望へと心が動いていきました。

 バスセンターで、事前に申し込みをしていたガイドの方と合流して、ウォーキングツアーの開始です。

 1対1の丁寧なツアー企画に、この町の観光にかける意気込みを感じました。

 高千穂神社では、神楽殿に入って夜神楽の説明をしていただきました。

 神楽は33舞あるそうですが、観光客向けには4舞されるそうです。

 本来は夜通し舞って、朝が近づく頃にクライマックスである天の岩戸が開きます。あたりに、日の光が満ちてくるタイミングです。それはそれは、感動ものであろうと想像しました。

 

 時間の関係で、高千穂峡でその方とお別れして、後はタクシーでまわることにしました。迎えにやってきた冒頭のタクシー運転手さんが、このツアーガイドさんを見るやいなや、私に向かって「あんたラッキーですね。高千穂で一番のガイドさんですよ」と云われるではありませんか。

 実はこのゴトウさんは「獄宮神社(たけみやじんじゃ)」の宮司さんで、しかも普段は高千穂神社にお勤めされている方だったのです。

 どおりで、高千穂神社社務所で巫女さんから「お休みされないんですか」などとからかわれて、談笑されていたわけが分かりました。

 

 後出しジャンケンではありませんが、そういえば、邪気のない方でした。自分を撮ることは皆無の私ですが、タクシー運転手さんに撮ってあげると言われて、ゴトウさんと一緒に写ったこの旅行唯一の人物写真。

 見れば見るほど、彼の人柄の良さが思い出されて、高千穂が好ましく思えてきます。

 高千穂には「獄宮神社」も含めて、八十八社あるそうです。これが最後、ではなくて、また来る日まで元気でいたいと思えた旅でした。

高千穂フォト日記

 ありがたや。晴れの朝。

 さすが、高千穂神社狛犬さんに角がある。

 絵葉書通りでビックリ!

 何十万年も前、地球がいのち逞しく生きていたことがわかる柱状節理。

 天安河原へ下りる道はパワースポットなんだそうです。

 日本棚田百選に選ばれた光景。

 天孫降臨の地、槵觸神社(くしふるじんじゃ)のパワー。

中秋の名月

 宮崎にやってきました。

 バスを待つ間に絵葉書を書いて、さて、ポストに投函しようと、赤い色を探したのですが見当たりません。

 やれやれ、また、老眼が酷くなったのかと、観光案内所で尋ねたら、「出て直ぐのところに日向夏の形のポストがありますよ」と教えてくださいました。

 ほんとだ!黄色のポスト!まん丸っちい!形も色も宮崎仕様でした。

 あぁ、宮崎に来たんだなと思えるから、これもありですね。

 雨予報が見事に外れて、お月様が望めた所が多かったようですね。

 ここ宮崎の平和台公園には、真っ赤に燃えたお月様が上ってきました。

 旧暦8月15日の本日に満月が観られることは珍しいことです。しかも、たくさんの場所で輝いたわけですから、見た人の胸に残るお月様だったのではないでしょうか。

 今日、ある教授に拝聴したお話から。

 子供の頃は、旧暦と現行暦の違いが分かっていなかったから、9月15日の月がなぜ満月でないのか、分からなかった。という話はどなたも経験たのではないでしょうか。

 しばらくして、大学生の卒論をかくため、宮古島に滞在中、気づいたことは、町では人工の灯りで夜も明るいけれど、島では月明かりがない日は真っ暗だと知ったそうです。

 まさに、月夜と闇夜の違いを若いときに知ってしまったから、その道(文化人類学)に導かれて進まれたのだと思いました。

 

 それから、宮古島から沖縄にかけての興味深い風習に「十五夜綱引き」があるそうです。

 夏休みに入ると男の子は「十五夜お賽銭下さい」と家々を回って、綱引きの賞品にする、ノートや鉛筆の寄付集めをするそうです。

 今頃、沖縄では「綱引き」大会してお月見してるのかな。

 中国では、月餅を食べ、韓国では墓参り。

 風習は違えども、今、アジアの人たちはお月見の夜を過ごしています。その心は一つです。

 「千里同風」。

 千里離れていても、眺める月は一つの夜が静かに更けていきます。

重陽の節句

 今日は九月九日、五節句の最後、重陽節句です。

 中国の陰陽思想では、奇数を陽と考えましたから、一月一日(お正月)、三月三日(桃の節句)、五月五日(端午の節句)、七月七日(七夕)に続く今年最後の節句です。

 重陽節句は、一番大きな数字である“九”が重なる日ということで、一見パワーがありそうに思います。が、反対に、陽気が強すぎると考えた昔の人の用心深さに感心します。それだけ、医学も未発達であったのでしょうから、「不老長寿」という切なる祈りにかけたのだと思います。

 

 「九月九日、汝が家中、当に、大災厄あるべし。急ぎ家人をして嚢を縫わしめ、茱萸(しゅゆ)を盛り臂に繋け、山に登り菊花の酒を飲まば、この禍は消ゆるべし」(荆楚歳時記)

 

 九月九日は厄日だから、邪気払いすべきことが、いくつか書いてあります。

  まず、茱萸(しゅゆ)を入れた袋を縫って身につけること。

 これは、京都の寺などでお守りとして伝わっているようです。茱萸の赤い実が邪気を払ってくれると考えたからでしょう。

 二つ目が興味あるところです。

 高い山に登るのです。

 春は川で禊ぎをするように、秋は山に上って邪気払いをするというのです。これを「登高」といいます。

 邪気の及ばない高い所は、今も昔も人々の憧れる場所に変わりないようです。

 三つ目に、菊花を浮かべたお酒を飲みます。

 菊は、魔除けの霊力が宿るとされて、不老長寿を願う人々に愛された花です。

 

 ところで、浅田次郎著『蒼穹の昴』四巻をやっと読了しました。

 歴史小説家の勉強量の半端ないことに圧倒された数日間でした。

 ラスト近くで、西太后が「登高」を思いつく、という場面が出てきます。

 月遅れではあるけれど、「登高」して重陽のならわしを果たして行こうと言い出します。それほど、登高は大切にされてきたことが分かりました。

 山に登る。

 中国では秦の始皇帝も泰山で「封禅の儀」を行っています。

 歴代の皇帝が山に登り、即位を天地に知らせて、天下泰平を祈りました。

 山のてっぺんは天に近いと思ったのは、私と同じ感覚です。

 高い所から下界を見渡すのことで、気持ちが晴れ晴れするのは、今も昔も変わらないことなのですね。

 

 錦繍の山道。

 山歩きを楽しみたい季節になります。

 

 付記 

 旧暦では今年は10月4日が「重陽」です。

『白露』

 今日は二十四節気の16番目、『白露』です。春が始まるイメージの『清明』に次いで好きな秋の始まりです。

 今朝は、何も考えずに選んだのに、ひとりでに長袖ブラウスを着込んでいました。着てから、秋めいた朝であること、今日から『白露』になり暑かった夏が終わったことに感慨深い朝でした。

 季節が巡るのは、地球が自転と公転を繰り返しているからです。

 地球が自転するおかげで、日の出とともに起床し、夜が来れば就寝するという一日のリズムができます。

 そして、太陽の周りを公転することによって、四季折々に違う喜びを味わえるから、情緒豊かになりました。

 もし、地球が宇宙にぽつんと一つ浮かんでいるというのではこのような季節感は生まれず、人々の生活も感情も単調だったことでしょう。

 更に、月が地球を一周することにより、朔満の一カ月が巡り、月見を楽しむことができます。

 なのに、現代人は太陽と月の恩恵を享受して生活が成り立っているなどということを、考える余裕もなく忙しい日々を送っています。

 

 地球が太陽や月という仲間と一緒に巡っていることを観察する時間を持てば、人間も独りでは生きられないことが分かってきます。

 SDGsの根本です。

 「人は大自然の一員である」。

 「人間は太陽のリズムで生きている」。

 このリズムに乗って生きることができたら、人は健康に暮らせるということを信じて座右の銘にできたら、未病の人の半分は元気になれるように思います。

 

 さて、秋は乾燥の季節です。

 大気の中で蠢いていたいのちが、土の中に帰り、大地は収穫の時を迎えます。そして、空は澄んで青空が高く見えるのも秋の特徴です。

 天高く馬肥ゆる秋。

 

 涼しい日が続けば、涼燥。そんなときは、頭が痛くなったり、咳が出たり、鼻が詰まったりします。

 反対に、温かい日が続けば、身体に熱を感じたり、喉の痛みや鼻が乾いてかゆく感じるかもしれません。

 体調がいつもと違うというとき、季節の特徴を知っておくことも助けになるでしょう。あぁ、これは季節の移行に体が反応しているな、と考えてみる余裕も時には必要です。

 ただし、ヘルペス(帯状疱疹)など、急いでお薬をもらわなくてはならない病気があります。

 いつもとちがう、にもいろいろあることは申し添えておきます。