こころあそびの記

日常に小さな感動を

 「三人寄れば文殊の知恵」(『阿含経』)という教えがありますが、これは三人が同じところを目指す場合のことでありましょう。
 こと、人間関係となれば、三人の集まりは話がややこしくなります。

 「あんたのお母ちゃんはいい人なんよ。私と二人やったらね。でも、三人になるとうまくやれない」とは、母の親友が私に漏らした言葉です。
 巷では、三人で一つの社会ができるから、兄弟は三人が理想と流布しています。
 でも、どうでしょう。彼女は一人っ子で母は7人兄姉の末っ子です。
 片や、兄弟社会を知らずに育ったにもかかわらず社長業という仕事をこなせて、もう片方の、たくさんの兄や姉に揉まれた母は協調性が育ちませんでした。
 それを目の前で見てきたから、そんなことではいけないと思ってきたはずなのに、上手く社会に溶け込む方法が分からない不器用な私です。

 昨晩の『プリズム』を観て、そんなことを思い出しました。
 ただし、単純なストーリーでは面白くないから、LGBTというコンプレックスを織り交ぜて、理解を難しくしてありましたが、三人の人間関係の話であることは変わりありません。

 ヒロインの杉咲花さんが声をひっくり返すほど熱演されて、ドラマが佳境に入ったことを感じました。
 浅野妙子さんが、今回、織り込んだセリフは、
 「自分が幸せでないと、周りの人を幸せにできない」
 というものでした。
 

 複雑化した世の中で、自分が幸せであるかどうかさえ見失う人が増えています。
 その答えを他者に委ねたい気持ちは分かるけれど、古来、青い鳥はすぐ近くにいると決まっています。迷子になる前にすべきことを見つけましょう。
 
 自分が幸せであると思える人は、自分を愛している人と言い換えられます。そして、それは自分を信じる強さを持つ人でもあります。
 単なるナルシストは当てはまりません。
 「自分の弱さを、他者を守ることでごまかそうとする」
 昨晩のセリフです。考えさせられる言葉です。

 昨日は、ヒロインが自分を愛せていないことに気づくところで終わりました。
 近頃になって思うのは、「愛する」ことも練習がいるということです。
 自分を大切にすることを知った人だけが、人を幸せにできるという法則の探求は、一生かけてもいい勉強だと思います。

キノコの季節になりました

 ブーンブーンと、あっちからもこっちからも、草を刈る音が響いてきます。夏の後始末が始まりました。
 刈り取らなくても、秋になれば地上部は枯れて、その命は根っこに帰って行くのですが、そうなってからでは草刈り機で刈り取れないから、今、夏に伸長して茂りきった叢を刈っています。

 午前中、風の中を歩いてきました。台風が日本海を北上していることを実感。怖いので家に引きこもっています。

 秋の装い、素敵です。名前も存じ上げずにごめんなさいね。

 庭に、こんなキノコが生えていました。
 名前を知ろうにも、世界に150万種類もあるといわれると、素人の手には負えません。

 さて、店頭にキノコが並ぶ季節です。
 キノコの効用は、「雪国まいたけ」で有名になりましたが、多い少ないはあっても、βグルカンという糖を含むキノコ全般に、免疫力の活性作用があるそうです。
 普通に家庭で食卓に上る椎茸、舞茸、シメジ、エノキタケ等々が、そんなパワーを秘めているのですから、食べない選択はありません。
 
 漢方生薬で有名なキノコといえば、なんといっても、ナンバーワンは霊芝(れいし)でしょう。
 これは、堅いキノコで、猿が腰掛けても大丈夫だから、サルノコシカケ科。うまい命名です。
 知らずにお世話になっていそうなのが、ブクリョウやチョレイ
 どちらも利水作用がありますから、おしっこが出にくい方や水が溜まりやすい方が服用される漢方薬に入っています。
 
 それから、食事はうす味がよいといわれる理由もキノコと関係があります。キノコの味は淡味です。不用な水の排出には、うす味にすることが大切だと自然が教えてくれている。これも先人が見つけた経験則です。

 これから出回るキノコを上手に使って、夏の湿気た体から、いらない水分を追い出して、ついでに免疫力をつけておきましょう。
 身を軽くして、爽やかに過ごせるように準備された天からの贈り物です。

老い最中

 日の出の時刻が遅くなり、方角も南よりになってきました。これから始まる長い冬に向かっていることを感じさせます。
 目覚まし時計を止めて、醒めきらないまま犬と外に出たら、あたりが幻想的な色に包まれています。やわらかいペールピンクでした。
 思わず見上げた空には薄紅色の絹雲が浮かんでいたので、慌てて写真を撮りました。

 出勤時には空一面に真っ白な絹雲が広がって、台風の接近は微塵も感じられない静けさです。

 さて、今朝の『芋たこなんきん』で、火野正平さん演ずる兄貴が「老後を、奄美大島で過ごさないか」と、弟夫婦に持ちかける場面がありました。
 
 「老後」の過ごし方。昨日から、頭の隅に引っかかっていたことと符合して、少しセンチになっています。
 というのは、友達の動向です。
 週末に九州に行くから会えないかとメールしたら、「週末はほとんどゴルフ三昧です」と返ってきたのです。
 冬の網走ユースホステルに一緒に行った友達です。彼女とは、お誕生日が一日違いで、『誕生日占い』によると、そんな二人はよき相棒らしいですから、彼女とは旅する運命にあったということでしょう。
 そんなことはどうでもよくて。

 動き回っている「老後」ということに、少なからず嫉妬したわけです。
 そんな人は他にも。大学時代の友人は、ファッションファッションしていたのに、いつの間にか山登りが趣味となり、今や、世界の山を制覇することを楽しんでいるみたいです。
 彼女らが、華麗な老後を過ごしているように、端からは見えてしまいます。隣の芝生は青いというところでしょう。
 翻って、自分の老後は、これでよいのだろうかと、はたと立ち止まってしまう瞬間は誰にでもあるのではないでしょうか。
 

 私の父は八十歳代でも高速で車を運転していましたし、ゴルフにも出かけていました。
 反対に、母は家に閉じこもるばかりの生活でした。
 運動神経が鈍い母の質と、じっとしておれない父の質が合体した私が作り出す老いとは。

 「老い最中 今日できることをぼちぼちと」

 やりたいことがあることと、やれる自分を信じること。
 それが老いを健やかに生きる秘訣だという確信を、心にすきま風が吹きこんだ時にも忘れない自分でいたいと思ったことです。

助けられています

 誰が名付けたか「千日紅」。
 サルが滑るほどツルツルの幹だから、「サルスベリ」という。そればかりが命名の起源かと浅はかに信じていました。
 でも、今から10月まで千日咲き続けるから「千日紅」なんですね。
 昔の人?の名付け方の上手さに感心しきりです。

ひぐらしの 鳴きぬる時は をみなえし     
 咲きたる 野辺を行きつつ見べし」

 家持の歌の中から、今の時節のものを探していたら行き当たりました。
 「おみなえし」は「女郎花」と書きます。
 それで思い出すのは、網走ユースホステルの部屋の名前です。
 ペアレントの粋な思惑なのか、男性の部屋に割り当てられていて、宿泊の男の子たちが騒いでいたことが面白く記憶に残っています。
 「おみなえし」は、あまり見かけない秋の七草の一つだと思っているのは、わたしが草花に疎いからでしょうか。木々の紅葉ばかりでなく、足下にも秋は始まっていそうです。
 
 「はぎの花 尾花 葛花なでしこの花 
  をみなへし また ふじばかま 
  あさがおの花」(山上憶良)

 万葉の昔から、人々が繊細な感性を持って自然と共に生きていたことを知るにつけ、自分はどうだと省みることばかり多いことです。

 ところで、現在、私は娘家族と同居しています。もうしばらくしたら、居候しています、に変更するかもしれませんが、今のところ、お弁当も作って、見かけ上、助け合って一緒に住んで居るということにしておきます。

 ときどき、同居はしんどくない?と訊かれることがあります。
 でも、今日みたいなことがあると、やっぱり同居しておいて良かったと思うのです。

 実は、この大雨で下水が詰まってしたことが今朝発覚しました。
 日曜日の水道工事だと、悪くすると数十万円かかると聞いて、娘が一念発起!溜まった汚物を取り除いて、貫通させてくれました。頼りになります。

 もう一つ。今日は、インターネット会社の変更工事で、早くから業者さんがやってきて作業が始まりました。
 しばらくして、庭でやり取りしている声が、次第に大きくなってきて、業者さんは帰って行かれました。
 なんでも、説明を受けてない工事代金が発生することを、婿さんが見抜いたようなのです。
 そんな契約書の細かいところなど、読もうともしない私なら分からなかったことでしょう。この人も頼りがいあります。

 
 しかも、こんなことが、一度や二度ではないのです。
 この賢さに助けられる度に、同居してくれていることに感謝しています。
 

 同居を始めるに当たって娘から出された条件は「協力」でした。
 一方的に協力させられるのかと思いきや、援助されることのほうが多くなりました。
 安易に頼ることは慎まねばなりませんが、頼ることが下手な私にはいい勉強です。
 誰かに言われたことがあります。
 「年とったら、素直に若い人に助けてもらいや」と。

片雲に誘われて

 庭でアキアカネが群舞しています。
 そんなとき、思い出すのは、
 「とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな」
 という中村汀女の俳句です。
 
 トンボは前にしか進めないから吉兆の印というようですが、そんな遠い存在というよりは意外に人懐こいようで、最近、よく手にとまってくれます。
 上のボケた写真も、犬のリードにとまったところを、焦って撮ったシオカラトンボです。
 先日など、目の前で小さい虫を食事するところを見てしまいました。
 以前は残酷なことから目をそむけたものですが、今は家中にクモが出ても驚かなくなりました。それも自然の摂理と思えるようになったせいかもしれません。

 ところで、旅心というのは突然ふってわくものです。
 昨日、大形徹先生が宮崎で講演されると連絡が入るやいなや、お尻がうずうずと落ち着きません。
 というのは、今年こそお目にかかりたいですとお約束していた方が宮崎におられるからです。
 毎年そんなこと言ってるので、あちらも期待はされていませんでしょうが、それでも、何か触発するものがあれば動き出してしまう性分です。今回は「宮崎」に動かされています。

 宮崎県綾町の郷田紀美子さん。
 もう先にお訪ねしてから6年です。なぜ、そんなにきっちり覚えているかというと、郷田さんの近くの窯で焼いたお茶碗の裏に日付が打ってあるのです。
 この宮崎焼が堅くて、粗忽者の私が使ってもこわれないのです。
 
 学者の大形徹先生と綾町の郷田紀美子さんと私。
 なんの関係もなかったのに、ある日、大形先生と出会い、先生が照葉樹林研究会をされていたことから、郷田さんと結びついてしまいました。
 人は人と出会うことさえ奇縁なのに、そこから更に輪が広がることもあるのですね。世間の狭い私のような人間には、貴重な経験でした。


 そんなことで、朝から旅心に火がついて出かける算段ばかりしています。
 行きたかったところをピックアップしたり、時間の調整をしたり、宿の選定など、なんと旅に出るということは心躍らせてくれるのでしょう。
 思いつきですから、行けなくてもいいんです。予定は未定であって決定ではない、と中学の先生がよくおっしゃってました。
 そのワクワク感を楽しむことが、心の栄養です。

 今はこの計画が不発に終わっても流せますが、本当に行けなくなる日がやってくることはわかっています。
 そんな日にも、仮想旅行するだけで、夢見心地になれるやわらかい心を持ち続けることが目指すところです。

みんな「童神」

 

 朝ドラ『チムドンドン』が逆風にさらさているとは聞いていましたが、ついにNHK会長さんまでお詫びされる事態になったようです。
 日本の公共放送が、わざわざ頻繁に取り上げる「沖縄」にはそれなりの理由があると考えています。

 私もつい最近まで、「沖縄」の放送が戦時中とその後の苦しみばかりを取り上げることに嫌気がさしていました。

 しかし、過日、奄美大島に古くから伝わる宗教行事が今も引き継がれている様子をテレビで観たとき、「沖縄」が私の中に近づいた気がしました。
 戦争報道ばかりでなく、こういった島の暮らしを教えてくれたら、気が重くなる島のイメージが払拭できるのにと。
 
 沖縄に住めば、病んだ精神が健やかになるといわれます。それは、これだったのです。自然と人の近さです。
 霊媒師が神意をよみとることで、自然への敬意を深くするという、宗教の原始の形が残っています。
 祈りに始まり祈りで終わる島々。

 なぜ「沖縄」を報道し続けるのかという疑問を考えていたとき、横田早紀江さんの言葉が思い浮かびました。
 「忘れないでほしい」。
 ずっと思いを寄せ続けてほしい。
 そのことが、ガードになるなんて思いもしませんでしたが、二度と悲惨な出来事をおこさせない為には、いわゆる「私達が見てますよ!」という気持ちを表すことが必要なのだと気がついたのです。

 だから、ストーリーに甘いところがあっても許してあげてほしい。半年で話を完結させるには、ご苦労があるのはわかりきったことです。
 ウチナーグチ(沖縄方言)の勉強になると思えば、楽しく観られます。
 夏川りみさんの歌う『童神』を聴くたびに、私達がどこから生まれてきて、どんなに愛される存在なのかと心に響きます。

 「天(てぃん)からの恵み
  受きてぃ此(く)ぬ世界(しけ)に
  生まりたる産子(なしぐわ)
  我身(わみ)ぬむい 育てぃ
  イラヨーヘイ イラヨーホイ
  イラヨー 愛(かな)し思産子(うみ   
  なしぐわ)
  泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー」

母の残した宿題

 

 真夜中、雷を伴った激しい雨で目が覚めました。その後、夜が明けて、家人の登校、出社時刻になっても断続的に恐ろしげな雨が降り続いています。
 すでに家の前の道は川と化し、側溝からは水が噴き出している有り様です。
 向こう一週間は、こんな状態が続く予報がなされています。
 天に祈るばかりです。

 雨で閉じ込められたから、ゆっくり過ごすことができます。動かなくちゃという縛りのない静かな時間です。
 母が残していった朱印帳を開いて、足跡を追っています。
 娘二人を嫁がせ、親の勤めを終えた直後の二、三年の日付が打ってあります。
 この「西国三十三カ所霊場納経帖」は、一番から三十三番まで、お寺の説明とご詠歌が予め印刷されていて、まだお参りしてないお寺を探す手間が省ける代物です。
 参詣の日付を見ると一日に何ヶ所も回ったことが分かります。
 それは、母の意向というより、父の魂胆であったことでしょうが、母はそれを知っていたかどうなのか。
 
 私自身はご朱印をいただくことに拘る質ではありません。ただし、朱印帳は数冊も持っています。なぜかというと、綺麗な朱印帳を見るとつい買ってしまうのです。罰当たりなことです。

 朱印帳なんて、と思っていた私ですが、両親が亡くなったとき、長年の汚れを払うため仏壇を磨いてもらったことがありました。。  
 その解体作業中、仏壇の中から煮染めついた古い朱印帳が出てきたと、作業の方から渡されたのは、今では見かけない小型の数冊でした。
 日付は明治、大正。行き先は伊勢から伊豆や箱根まで、広範囲でした。
 戦争と貧しさばかりの苦難の日々を送っていたのではという思いは吹っ飛びました。楽しく旅行に出かけていたことを知り、うれしくなったし、元気をもらえた気がしたのです。
 
 朱印帳の価値は本人の記録に留まらず、後世の誰かを元気にするものでもあることに気づいた出来事でした。
 

 母の西国三十三ヶ所は満願しています。
 その朱印帳に重ねてあったのは「新西国霊場宝印帳」です。
 同じ装丁で、一番から三十三番まで印刷されています。
 まっさらかと思っていましたら、「水間観音」だけお参りしてありました。
 それ以後は、父に頼んでも連れて行ってもらえなかったことを察するに、また胸詰まります。
 この世で頼れるものが父しかいないところまで追い込んだ自分の浅はかさを恨めしく思ったりします。
 が、生前にもっと心を近づけてあげられたのではというのは、未熟な自分には無理なことでした。
 せめて、この朱印帳の残りは参って満願にして母に報告できたらと思ったりしています。