こころあそびの記

日常に小さな感動を

木のいのちと共に

 宮崎県綾町に、郷田實さんという町長がおられました。

 綾は、宮崎市内からバスで大淀川を遡ること一時間と少しの所にあります。当然、町の主な産業は林業でした。そんな町にふってわいたのが、森の伐採事業でした。

 これに猛烈に抗議して差し止めることに生涯をかけたのが郷田町長だったのです。

 なぜ、彼が森を切り崩すことに反対したのでしょうか。

 それは、目の前の営利よりも遠い将来を見越してのことでした。子孫に残してやれるものは、この自然であるという強い思いで、妨害に負けずに、森を守りました。

 おかげで綾町の照葉樹林帯は守られて、今では日本に残る数少ない貴重な森として名を馳せています。

 その方のお嬢さんが美紀子さんです。

 「美紀子、あの山の木は、誰も耕さず、肥料も与えないのに毎年たわわに実をつける。自然の力とは素晴らしいものだ」。

 お父様が亡くなって、思い出される父の言葉と『結いの心』に書かれています。

 自然は確かな循環を繰り返している。無駄なことは一つもない。

 その思いを深くしてくれた郷田さん親娘です。

 

 郷田さんのお店でオーガニックランチをいただいてから、少し時間がありましたので、町の「手作りほんものセンター」に行ってみました。

 受付におられた女性は、なんと宮城県生まれ。関東で彼と出会ってこちらに来られた、いわば、移住者です。

 ここは、そんな人が多いと聞きました。その中のお一人、児玉工芸の児玉喜輝さんを是非訪ねてみてとアドバイスされました。

 

 木工作家さんです。

 お目にかかってみて、お人柄に悠久を感じました。

 元々はエンジニアだったそうで、木に魅せられて木工を始められたとか。

 自然からいただいた木のいのちを、大切に、愛おしんで、循環されています。

 

 例えば、この積み上げられた作品たち。小さい小物で十年。大きなもの、中でも、茶筒などは三十年こうやって乾かすそうです。

 作品を送り出してからも循環は続きます。

 近くの幼稚園では、こちらのお椀を使っているそうです。なんて贅沢な。そのお椀も十年ほどで、木が変形してきます。まだまだ、生きてる証拠です。

 それを、削ったりして使える形にするところまで仕事は続きます。

 木は生き続けている。木と対話を続けられるかどうかが木工作家の能力でありましょう。

 長いスパンで生きておられることは、穏やかなお話ぶりで分かりました。なかでも、印象に残ったのは、「時間はぶつ切りで考える者の感覚であり、一旦、循環の中に入ってしまえば時間はないに等しい」という言葉に覚醒されました。

 実践の中から生まれるほんまもんの哲学です。

 

 作業所に心地よい風が吹き抜けます。

 聞けば、この風は、前に小川が流れているから生まれるとのこと。

 ふと、軒に絡まる「美男カズラ」に、花と実が同時についていることに気づきました。牛の体を拭いてやったり、昔はシャンプーにも使っていたそうです。

 そうなんだ。

 「捨てるものなど何もない。」

 郷田實さんの言葉がまた思い出される綾の町でした。