こころあそびの記

日常に小さな感動を

桜吹雪の日

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 花吹雪の中に親鸞さんが立っておられる。
 越前、越中、越後の旅を終えたばかりですので、旅装束の親鸞さんが親知らず子知らずの海辺を歩いておられる姿が彷彿と思い浮かびました。
 悩める衆生を救いたいという一つの願いが、今も続いています。
 どうか、この先もお見守り下さいと、緑青に染まった像にお願いしてその場を後にしました。

 お寺を出たところで、幼い女の子が座り込んでいます。傍らでお母さんが、なにやら言い聞かしています。よかったね。やさしいママのもとに生まれてきて。
 母と娘。ゆっくりお付き合いしたくなるような、あたたかい昼下がりでした。

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 川沿いの桜はいよいよ最終章です。
 小さな女の子が花吹雪がおこるたびに、両手を広げて吹雪めがけて走り抜けていました。その周りを、自転車に乗れるようになったばかりのお兄ちゃんがぐるぐる回っています。
 守ってやっている、とは言わなくても妹を守っていることがわかります。妹から離れないのは、気にしているせいです。あなたはいいお兄ちゃんに出会えて幸せだね。

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 今日、庭の剪定作業がようやく終わりました。
 散髪したての男の子みたいにさっぱりしました。
 木々にとってはあまり恵まれた土地ではないため、伸び放題にしておくと、それぞれの木どうしが息がつまるようです。その結果、虫が発生してたいへんなことになります。
 椿は未生でどんどん増えて、チャドクガが大発生。そばを通るだけで、シャカシャカと、葉っぱの上に一列に並んで食べ進む音がしたものです。
 かわいそうに、この土地に椿は合わなかったのです。
 すべて伐採して、今は風通しのよい庭になりました。
 人の体の中の滞りが病の原因になるのと同じです。
 風が抜ける場所に邪気は生じ得ないことは、木々から教えられた大切な教訓です。

 『香君』を読み終えたところですから、余計に庭の木の気持ちを感じます。
 人はいくつになっても学べるといいますが、私のように植物に何の興味も抱かなかった人間でも、きっかけがあれば、その道に踏み込むことができました。
 漢方薬は殆どが生薬ですのに、学生時代には見向きもしませんでした。だから、スタートはうんと遅くなってしまいました。
 遅い出発であっても、生きているうちに別世界を垣間見ておけば、来世には役立つかもしれないと思ったりしています。
 
 『香君』。香君だけが特殊なのではないというのが、結論です。
 私たちはみんな匂いを嗅いだり、気配を感じたりできるように作られているように思います。力に差があったとしても。
 だからこそ、自分の道を探せるのではないでしょうか。
 五感や触覚を通して、自分の好みの道を右、左と選択した結果が今日立っている場所です。
 動かないという選択をした植物が、自由を手に入れたかのように振る舞う人間に教えてくれるものは、智恵です。
 いまだに、場所取りゲームに勤しむ人間に、その智恵が生かされる日は来るのでしょうか。