こころあそびの記

日常に小さな感動を

“お加持”

 

 今日は市軸稲荷神社の春季祭です。

 小雨模様でしたが歩いて行くことにしました。

 この時期の自然の進行はびっくりするほど早くて、一日で見逃すものも出てくるほどに、貴重な時間ですから、さぼるわけにはまいりません。

 

 

 写真で花泥棒しながら歩いていると、ライラック(リラ)の花が咲いているお宅がありました。ハイカラなお花を植えておられる家主を想像するのも楽しいものです。

 

 

 アラカシが新芽を吹き出していました。そういえば、秋に枝を伐採されたアメリカフウノキ。いつまでも裸んぼうで、生きてる?と心配していましたが、今日、小さな小さな緑色の幼芽を発見しました。

 これから緑陰を作るまで、そう時間がかからないことが樹木のいのちの凄さです。良かった。夏が待ち遠しいことです。

 

 

 皆さんは加持祈祷を受けた経験ございますか?

 私は、今までに一度だけ受けたことがあります。それは、身延山の清水房に宿泊したときのことでした。

 「お加持しましょう」といわれて、何のことかも分からずに、お受けいたしたことがありました。

 なぜそんな遠くまで行ったかというと、この宿坊の奥様が父の従姉妹という関係でしたので、父が存命中、たっての願いで連れてまいりました。

 この世には、目に見えないけど、確かにあるという事象が、ふと現れることがあります。

 この話もその一つです。

 この従姉妹は、大阪在住でした。

 ある日、彼女の母親が信仰していた白蛇さんからお告げがあったというのです。

 「身延山の日總さんがお呼びです」と。蛇足ですが、日蓮宗の一番偉い方には代々「日」が付きます。

 大阪から山梨は、おーい!と呼んで、聞こえる距離ではありません。なのに、どうして。今となっては、皆、故人となり、真偽のほどを確かめることも叶わなくなりました。

 でも、金子みすずさんが言うように、“見えないものでもあるんだよ”という不思議を感じて生きるのもありかと私が思うのは、こんな体験からなのかもしれません。

 

 

 そして、今日のこと。

 春季祭が厳かに終了したあと、宮司さんが「それでは、加持祈祷の準備をしますので、しばらくお待ち下さい」と仰ったのです。

 加持祈祷は、「病気や災害などを払うために、いくつかの象徴的器具を用いて、神仏に祈ること」です。

 器具を用いる。というのは本当で、五種類のお祓いをしていただきました。

 市軸稲荷神社を崇敬神社にされている方々が多数お集まりでした。その中に入れていただきありがたい経験ができたことで、神様の存在を昨日より少しだけ近く感じられそうです。