こころあそびの記

日常に小さな感動を

庚申さん


 この写真の『青面金剛』の碑は箕面市内の旧・西国街道にあります。樹齢数百年のクスノキの大木の根元にひっそりと佇んでいます。
 これとは別に、箕面池田を結ぶ旧道には、その昔は池田から見えたというほど大きな杉の植わった『青面金剛』を祀った一角があります。
 さらには、宝塚市内山本にも巡礼の道沿いに庚申塚があります。
 昔の人の身近にあった庚申さんです。
 
 これらは、中国、道教の影響を受けて発生した庚申さんの日に庚申講をした跡です。
 『抱朴子』(葛洪著)(317年)になぜ人々が庚申の日に寝ないで夜通し起きていたかの理由が書いてあります。
 「人の体内に潜む三尸(サンシ)は形はないが、実は鬼神や霊魂の類である。人が死ぬと三尸(サンシ)は体外に出て好き勝手ができるので常に人の早死にを望み、庚申の夜、眠っている人の体から抜け出して天に上り、人間の罪過を事細かく天帝に報告する。賞罰を科すが、その最たるものが寿命の伸縮である。」
 つまり、体の中の三尸(サンシ)が、庚申の夜、抜け出して天の神様に罪過を告げると、寿命が短くなるということらしいです。もちろん、良いことをして長くなることもあるとはいいますが。
 ですから、皆、鶏が鳴く朝まで、庚申講をして起きていた。その後、徐々に楽しいパーティーに変わっていったといいます。
 “庚申”とは干支で「かのえ・サル」のこと。かのえもサルも「陽の火」ですから、同じものが二つ重なることに畏れを持って始まったのではないでしょうか。
 例によって、『枕草子』にも書かれているところから、1000年前には、日本でも定着していたことが分かります。

 
 青面金剛は仏教系の本尊となり、神道系は庚申から縁の深い猿田彦命を祀りました。

 『青面金剛』と書いてあるだけで、身の引き締まる思いがするのは私だけでしょうか。
 赤は動脈の色ですから興奮とか舞い上がりを喚起します。反対に青は静脈の色ですから、鎮静や落ち着きを感じさせるはずです。なのに、全くの冷静では居られないのです。
 青色の仏像には切迫感があります。
 吉野の金峰山寺蔵王権現は、秘仏ながら、2回ほどお目にかかったことがございます。また、お目にかかりたいと念じたくなるように思うのは、私が罪深いからでしょうね。
 すべてを見透かされるような青い仏像。
 それを思い起こさせる『青面金剛』碑だから、私は時々お参りしたくなるのです。懺悔のために。
 
 慌てて、調べましたら、蔵王権現のご開帳は本年は3/26~5/8となっていました。
 まだ、間に合います!

 庚申講の話は、今や廃れてしまいました。
 体内の虫が天帝に告げ口する日なんて、しかもその罪状で寿命が決まるなんて。若者には受けない話です。
 そういう畏れのなさが蔓延したことが、いいのか、わるいのか。
 昔の親は何かにつけて、「そんなことしてたらバチが当たる」と戒めました。
 いのちが、医療やお金で約束されるという考えが何の根拠もなく広がっていることに対して、たまには、謙虚に考え直してみることもあってよいのかなと、思っています。
 次の庚申の日は5/7です!夜更かししなくていいですよ~(笑)