朝、外に出たら、いつもと違う気だるい空気を感じました。振り向いて仰いだ太陽は雲間に滲んでいて、朝のさわやかはありませんでした。
その後、仕事帰りに見たのは真っ白な六甲山。霞んでいるというよりは、白い幕が下ろされているような感じでした。
花粉アレルギーなど無縁な私は、そこでようやく、花粉が大量に飛んでいることに気づいたのです。
そういえば、さっきから、鼻をかみたくなったり、喉には違和感を覚えたりしたのは、このせいだったのですね。
花粉症との勝負は、この花粉を感知した瞬間で決まります。
あ~あ、私も花粉症になってしまった。と自分に病気を認めさせた人は、その後、立派な花粉症患者になることでしょう。
そうではなく、花粉に刺激を受けたことを的確に感知して、洗い流そうとして涙や鼻水が出ることを、やったぁ!私の体は防衛反応が正常に働いてくれている。ありがたいなぁ。元気な証拠だわ。と思うか。
人生は自分の思いようで、その後の方向が決まるといわれますが、体とのつきあい方にもいえることです。
病気を安請け合いしないで、私の体はがんばってくれているなぁと思えば、この花粉シーズンも穏やかに過ぎていきます。
なのに、テレビラジオが五月蠅すぎて問題ありますよね。連呼しなければ、病気を認める人も少なくなるでしょうに、それではスポンサーにお目玉食らってしまいます。
昔から憧れられてきたマスメディアという仕事に行き詰まりが見られるようになったことからも、私たちが今、時代の転換点に居ることを思う今日この頃です。
ところで、花粉といえば、こないだの上町台地のお話しにも登場しました。
先にお伝えしたように、今から5000年前、人が住み着いたころには、すでにこの台地がありました。そして、東側、北側、東側は海でした。
縄文時代には、その海からカキを採って食べていたこと、弥生時代になって、北側が閉じて東側に河内湖ができた頃には、湖岸でシジミを採ったとか。
そのもっと前、太古の地層からは、西の九州は耶馬溪から飛来した火山灰や、東は北アルプスからの飛来物もみとめられるそうです。
台地以外は海の底です。生駒の山が2000m級で、紀伊山地は爆発を繰り返していたという絵は、まさに地球が生きていたことを教えてくれます。
そして、上町台地の植生を調べるのに一役買うのが、「花粉」です。
種は何千年も生きるとききますが、花粉みたいにふわふわ飛ぶものが、何千年も殻が破られず残ることはちょっと信じられない思いがします。
なににしても、その時代の地層から出てきた花粉を分析することで、当時、どんな植物が台地を覆っていたかが推定できるそうです。
そこから、縄文時代から弥生時代にかけては温帯針葉樹が混在するシイ・カシなどの常緑広葉樹の原生林に覆われていたと推測できるとか。
中国南部から延びる照葉樹林帯がここにもあったという事実が、ロマンを呼び起こします。
その後、稲作が始まると森林は草地に変わってしまいます。
きょう、目の前を真っ白にするほど飛んでいる花粉が、後世の研究家に発掘されて、21世紀前半の花粉量は尋常じゃないと言わしめるのでしょうか。
小さな花粉が歴史の証言者になるだなんて愉快なことです。