こころあそびの記

日常に小さな感動を

”運“

 

 上の写真は、きのうの日没前の煙る六甲山です。

 こんな大気の汚れは今日の雨で洗い流されるものと思っていましたが、さにあらず雨上がりは花粉飛散が倍増するとか。

 百花繚乱の季節は、生物が一斉に目覚めるときです。春が来てうれしいのは人間だけではないという優しさを心の隅に置くと春景色を満喫できそうです。

 

 

 これもまた昨日のこと。カモたちが旅立って、さびしくなった川沿いを歩いていましたら、ヒドリガモのつがい二組とカルガモ四羽に会うことができました。

 カルガモの方は雌の争奪戦を繰り返しているのか、川面をバタバタと何回も追っかけ合いをするので、面白くて動画に撮ってしまいました。

 翼鏡の青緑色がオシャレでしょ。

 最後には、負けて一羽になったカモが鳴くんです。「ビービー」というか細い声が薄暗くなった川にこだまして、哀愁を誘う夕暮れでした。

 

 

 さて、わが「花梨の会」のメンバーのKさんは、中国大連で幼少時を過ごされました。

 満州のマイナス40度の寒さがどれほどのものかという例に持ち出されるのが、「お風呂上がりの手ぬぐいを野外でグルングルンと二回まわしたら、凍りついて立つんですよ」という経験です。

 ”濡れたタオル一枚が(刀のように)凍る寒さ“という表現から、満州の極寒のほどが想像できます。

 

 

 過日の講習会のお昼休みに、大阪城を見渡せる場所に陣取ったものの、風が吹き抜けるので移動を思案していました。

 そこへ、お帽子を素敵に被った男性が「ここよろしいか」と隣に座られたので、しばらくお話しすることにしました。

 「冬の寒さに逆戻りといいましても、真冬のそれとは違いますよね」

と、切り出すと、

 「私はマイナス30度の満州で育ちましたから、どうってことないですよ」

 「ええっ。大連ですか?」

 「いや、新京です」

 新京は大連より北の内陸部にありますから、さらに寒いはずです。

 「よくご無事にお帰りになれましたね」

 「ソ連兵が迫る中、アメリカと蒋介石が日本人を救出してくれたから、帰ってこれました」

 戦争していたアメリカが助けてくれるって、どういうこと?

 戦争終結後の米国の思惑がどのようなものだったのかは、歴史に疎い私には理解不能です。

 さらに彼が「日本のことが好きだった蒋介石」と表現したことにも、疑問符がつきました。

 

 

 個人の友情にひびが入るのは、単純な感情のいざこざが原因であることが多いのに比べて、国と国との関係は損得勘定などが絡むから、複雑で一筋縄ではいかないことだらけ。今日の友が明日も友でいてくれる保証はどこにもありません。

 

 

 いま、日本が置かれている境遇は不安定そのものです。台湾有事が勃発したとき、アメリカはどう動くのか。

 帽子の似合う彼が関わった当時の台湾とアメリカは友好的でした。しかし、今回も同じように日本を助けてくれるかは不明なのです。

 彼は、「すべては運です」と何度も繰り返しました。

 満州に置き去り、あるいは餓死したのは、住民の三分の二に及んだ現実を見知ってのことですから、その重みに返す言葉もありませんでした。

 平和の中で生かしてもらった70年間に恩返ししたいが、その方法が分からない。そう歯がゆく思っている老人は少なくないはずです。

 この幸せを孫や子も享受できますように。その願い事を片時も忘れずに居てやるしかありません。