お昼休みに外を歩いてたら、炎天下で白い花が揺れていました。
ガウラという名前のほかに白蝶草(はくちょうそう)とも呼ばれる、とありました。
草という草が萎れている中で、めげずに咲く。こんな強さもあるんですね。
お公家さんの財力でしょうか。豪華さという点では祇園祭に勝るお祭りはありません。
それに比べれば見劣りしますが、大阪の夏祭りといえば、天神祭です。
なんで船渡御から始まるんだろうと長年思っていましたが、最近になってようやくその意味が飲み込めました。
大阪は水の都。昔は上町台地以外のほとんどの土地が水面下でした。
それを仁徳天皇の時代から少しずつ少しずつ水抜きをして発展してきた大阪。
ですから、まず、水の神様に感謝を捧げることが大切と考えた昔の人の思いを、大切に受け継いでいきたいと思います。
さて、カメラという文明の利器ができたのは、ついこないだのこと。
ということは、それまでの風景は、絵描きさんが描いて下さった絵から偲ぶしかありません。
その中のお一人に菅楯彦さんがおられます。
存じ上げない方でしたが、先日、関大博物館で拝見することができました。
お父様がふすま絵師でいらしたそうですから、その腕は推して知るべしです。
特に生き生きした人物画が巧みでした。
明治の末期から大正にかけて、彼が生きた年代に私の祖母も生きました。ですから、その風俗には興味しんしんでした。
“一介の町絵師”として大阪の風俗を書き残してくださったことに感謝です。
とかく、大阪の文化は実力以下に評されることが多いのですが、谷崎潤一郎の『細雪』だって大阪のお話です。
かつての文豪がこの町から出たことを、そして、町に華やぎがあったことを思い起こさせてくれる展覧会でした。
解説のために帯同して下さった先生が、大阪府大に博物館がないこと、更に、新生の大阪公立大学にも博物館がないことを嘆いておられました。
そういえば、近くの大阪大学にも博物館はありまして、市民に公開されています。
身近な場所にある博物館。しかも、アカデミックな環境の場所にあれば、市民の民度も向上するに違いありません。
なのに、金・金・金。
経済効率を貴ぶだけでは、文化は廃れます。人々の心が文化を忘れたら、町は荒廃に向かい、受け継がれるものはなくなります。
町名にだって、建物にだって市民の誇りはあるのです。
どこかのぽっと出の政治家にボロボロにされてしまって、今、大阪の町は泣いてます。
商人の町だから、それでよいのではないのです。彼らは文化を理解できる商人でした。
そのことを忘れないで、大阪を育ててほしいと切に願っています。