こころあそびの記

日常に小さな感動を

花江ちゃん

 

 玄関脇に蔓延った茅が、ハサミが入らず、うまく刈れないと家人が困っています。

 昔の人はその質を、邪鬼を括りあげることに利用し、注連縄(しめなわ)を考えたわけです。

 梅雨入りはまだかまだかと騒いでいるうちに、6月が終わろうとしています。明後日は夏越の祓です。

 半年の間、身につけてしまった邪気を祓うために、身代わりになってくれる紙の人形を、家族分、近くの神社に収めてまいりました。

 あとは、当日の茅の輪をくぐって、あと半年の無事を祈りたいと思います。

 

 

 けさの『虎に翼』。

 花江の「直道さんがそばに居てくれる」という台詞に胸を詰まらせた方も多かったのではないでしょうか。

 私は、泣き虫の友人が人知れず泣いているのではないかと想像してしまいました。

 法律という、味も素っ気もない残酷なストーリーの中に人情の機微を入れ込むことができる脚本家の能力に頭が下がります。

 

 

 さて、人間の能力とは、簡単に評価できるものではありません。

 日本人のIQが世界一位だといわれても、それは机上のお勉強、つまりペーパーテストに強いだけのこと。

 それは、生きる知恵とは無関係というのは言いすぎにしても、人間としての総合力とはかけ離れた評価でしかありません。

 

 たとえば、『虎に翼』の花江さんが今日、ついに白状した家事の煩雑さ。

 私も、毎朝、お弁当を作らせてもらっています。

 前日から、ある程度の献立を考えておくことが、朝の動線をスムーズにします。何から作り初めて、どう朝御飯の準備までもっていくか。

 簡単なようで、結構、頭の体操になりますから、ぼけ防止によろしいようで。

 ところで、花江さんが根を上げたのは、完璧に家事をこなしたお母さんを真似ようとしたからです。それは、無理というもの。昔の女はよく働いたからです。

 私のおばあちゃんも、末娘である母の手助けによく来てくれました。

 働き者といわれた祖母のことですから、やってきたらまず、頭に日本手ぬぐいで頬っ被りをして、真っ白な割烹着を着て、ちゃっちゃと掃除を始めます。

 どこに、それほど掃除するところがあるのか、というくらいに働いていた記憶が残っています。

 それは、明治の人の働き方。

 花江さんは昭和の人。

 時代が、仕事の質を変えていくのは仕方のないことです。それでも、仕事の順序や工夫は変わらないはず。

 その時代に合ったように能力を使えばよいと思います。

 

 話は戻りますが、人間の能力は測れないものです。いつどこで花咲くかはわかりません。

 ですが、明日が読めないといわれる世界情勢にあって、読めない人ばかりで舵取りをするのは、どうなんでしょう。

 見てるだけのお前が云うな!ですよね。ごめんなさい。